2012年2月26日日曜日

復活の狼煙  by TFK

「狼煙」って、漢字で書いた時の字面がとてもカッコ良い反面、音と仮名(のろし)は間抜けな響きですよねぇ。

この数か月のとりこみ案件がめでたく終了し、漸くBLOG再開です。元々月イチだったけれども。

「漸く」と言えば、高校時代の数学の先生が「暫と漸はどっちがどっちだったかどうにも覚えられん」と言う話をしてたのを思い出します。その先生の解決方法は、「漸」は「さんずい」が付いているので、当時流行っていた(いや?当時でも「チョト前」だったと思うが)人気漫画「男組(アイドルぢゃないよ)」の主人公が「流全次郎(ながれぜんじろう)」て名前で、それに引っ掛けて「流れる≒『さんずいの付いた』方が『ぜん』と読む、忘れた時は『ながれぜんじろう』で思い出す」って覚え方だったそうです。


こういうのって、コジ着け具合が「上手い!!」って時は人に話してもそれ程違和感は無いですが、「そう!そう!そう!」の反応が怪しい時には、何となく言うのが憚られる気がします。他の場面ではガサツでKYなTFKですが、こんな時は気になっちゃいます。
「ながれぜんじろう」は、方法論として個人が使うなら勿論アリだと思いますよ。良く出来ている。だけど「流れる≒『さんずいの付いた』方」の部分の唐突感が、個人の好みの問題だからって事でスルーされない様な気がする。いや、実際の場面では誰も「えぇ~そうかなぁ」ってツッコミを入れて呉れる訳でもなく、でも「ふぅん(+沈黙)」型の「微妙」感が一瞬醸成されただけで表面上スルーされるんですよ、きっと。でも後日、発言者本人が居ない場所で「ホラ、あん時のアレさぁ・・・」って話にされちゃいそう。それでも盛り上がる話になるんなら、一定の貢献があってそれもまた良しですが、その場面でも結末は「微妙」型になっちゃう感じがして・・・。

  こんな細かいところ気にするのはTFKだけかも知れませんが・・・

同じコジ着けロジックの中でも「ながれぜんじろう」は、期間限定の面はありつつもスルーされ易いイメージです。個人の感覚の違いを超えて「そういうのもあるよね」感を得られる。限定期間過ぎた後であっても、考えた個人にとっては色褪せる事もなく「ながれ」と言えば「ぜんじろう」な訳ですから、「当時流行っててさぁ」の一言で説明出来ちゃいます。


因みに、とりこみ案件の中の一つに、チィートモ勉強しない息子の学校をどこにするか問題がありましたが、流全次郎のライバル、神竜剛次と同じ学校となりました(名前だけ)。全次郎も転校するから2人の後輩だね。

  何にしても片付いて良かった。


因みに、「どうにも覚えられん」と言えば、遠い昔の人気TV番組で「パペポTV」って言うのがあり、好きで観ていましたが、その中で出演者の上岡龍太郎さん(パンチ君ですね)が言っておられた話を思い出します。笑福亭鶴瓶師匠と上岡さんの二人でお話しされるだけなんですが、話題や話す内容、連動企画なんかは結構アナーキーな事やってましたねぇ。面白かった。

んで、「覚えられん」の話題で上岡さん曰く、子供が右と左を覚えられんのは「お箸が右でお茶碗が左」型の教育手法がそもそも悪いと。「こっちが右」を徹底的に教えて、間違わなくなってから「残った方が左」ってやらないからだと。

  良く解る。

皆がそうしないのは改めて教え方の検討をせず、前例主義的に自分の親から教わった手法にしてる、ってのもあるでしょうし、現実世界で「右」一辺倒で対処出来る期間はそう長くないから(幼稚園風の団体に所属しちゃったら無理ですかねぇ)、情報としての「左」をシャットアウトし切れないからなんでしょうか。そんな面倒な事考えて無ぇか。親忙しいし。

「暫と漸」問題には使えそうですね。「ぜん」が先で定着した後に「ざん」。さんずいの無い「斬=ざん」とかが参入して来ると、斬→漸→暫でしょうかね。仮借・転注(ん?こうだったかな?注の字が違う様な気がする・・・)の話があって、次に形声文字の話があって「漸」まで到達し、それまでは伝家の宝刀使わずに、ここで初めて「ざんでない方がぜん」だと。ん~良いねぇ。漢字の先生、もとい、そんな人居ないですね、国語の先生方、宜しくご検討を。左右問題の関しては、家政科や幼児教育の先生方、宜しくご検討を。

俺が奨める事ぢゃ無ぇか。


月イチレベルはそのままだと思いますが、何とか「のろし」が上がりました。TFK

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