2012年11月22日木曜日

再度、復活の狼煙  by TFK

再度、復活の狼煙  by TFK




「再度」って、読みが「サイド」ですが、イスラム系のサイードさんを思い出してしまうのはTFKだけ?知り合いがいるからか?何となく「サイドカーの『サイド』」ぢゃないんだよなぁ。

もとい、前回復活したと思ったら、また片付いたと思った案件が、こちらもゾンビの如く復活し、(いや、ゾンビは「復活」してるんぢゃなくて「死んだまま生きてるヒトみたいに行動する」んですな、チョト違う)、ゾンビの如くTFK日常生活に影響を及ぼし始め、やっぱり長く空けてしまひました。何度も書いて申し訳ありませんが、不遜にも「待っていた方」、遅くなってスマソ。


前回の「復活の狼煙」の時は「狼煙」の漢字がカッコ良いが「のろし」は間抜けだ、って話から入りましたが、実はTFK、ノロウイルスって言葉を聞いた時に、いや、聞いてからかなりの長い期間、「ノロ」って動物から感染る病気だと思っていました。

「獐」って「のろ」ですよね。文字化けして訳判らん方の為に、一応、「けものへん+章」って字です。

西遊記でお馴染み、動物と五行の組み合わせで4×7の28種類の神様(&星、ん?星座か!?)になっている「二十八宿」の中の一つ、「柳土獐」の正体に当てられているヤツです。実在のどんな動物かはよく知りません。何となく四足歩行のイノシシっぽいのを想像していますが。だって和文の読み方が「のろ」ですよ。実際のイノシシはスピードランナーですけれども、ズングリ体系が和名の読みにピッタリのイメージ。



同じ様に、ズゥゥーーーっと間違えて覚えていた事を、誰も訂正して呉れなかったので使い続けていて恥をかく、って事があります。

TFKの「のろ」ケースは恥かかずに済みましたが、天下のキムタク様が、同僚の方々と料理をする番組の中で「出汁」を「でじる」って言い続けていたんだけれども、ある時から「だしじる」に変わった、ってのがありましたよねぇ。生放送ぢゃないんだから訂正すれば良いものを、って思ってましたけど、彼の様なビッグネームになるとTV局の方々も中々訂正出来ないんでしょうなぁ。後から音声だけ変えても本人が放送見たら気付くし、口の動きと音声が違う点なんかを目ざとく見つけて指摘するヤツいますからねぇ。しかも、今や悪いことにネットの世界で一瞬で広がっちゃう。

同じケースがTFKの会社でもありました。ご本人は世間で言う「お局様」の年齢で職種的にも「お局様」になりがちな仕事をされておりました。勿論、ご本人はお局ではないですよ。とても良い方です。ただ、そうなってもおかしくない/周りの人々がそう思っていても無理はない様な担当業務でした。


この方がですねぇ、


「○○○の様な事を本当にやろうと思ったら△△△と×××位しか『センタクギ』はありませんよ」って言ってた事がありました。結構長い期間使ってたなぁ。今は部署が離れちゃって現状は知りませんが、もしかしたら今も継続しているかも。



最初は何の事か判りませんでしたが、スグ気が付いた。「選択肢」を「選択技」と思ってるんだなぁって。

気持ちは良く判る。

小学校5年位まで、TFKも「選択肢」は「選択枝」だとおもってましたからね。枝分かれのイメージです。幸いにも読みが同じだったんで気付かれなかったと。この方は運悪く、音に影響しちゃうタイプで、更には訂正しにくい(と思われている)方だった訳です。キムタク様と同じ。彼の方は漢字の認識は合ってたけど読みで躓き、そして音でバレちゃったんですな。そして密かに訂正したと。



こんな時、訂正するのって気を使いますよねぇ。勇気が要る。
全共闘時代の名残辺りの転向組クソオヤジ達が、判り易いところで、若いヤツの服装だとか言葉使いだとかを取り上げて注意し、さかしらに「言ってくれる人が居るってのは有り難いと思わなきゃ」とか抜かしているのを見ると、面の皮の厚い人達ってのは得だなぁ、って思います。いや思いました。



問題はそんな事ぢゃねぇ!!


これを言った事で、先方がどう考えるか読み切れないから困っている訳で、「言ってくれ・・・思わなきゃ」が理由として正しい&受け入れられるのを、最初から正解にしているところが違うんだよ。この辺はセクハラ・パワハラ認定と同じ構造になっていて、本人がどう思うかが最も大きな分かれ道なんです。どんな場面で言うのか、コッソリか皆の前か(これは無いか)、シリアスなのか冗談めかすか、ありとあらゆる「センタクギ」があるところで、でも「良かれと思って地雷」のケースを種々経験して来た身としては、とても迷います。



さんざん間空けた後でのこんな下らない話でスマソ。次回はもう少し得した気分になる話にしたいです。希望と自戒を込めて。

2012年2月26日日曜日

復活の狼煙  by TFK

「狼煙」って、漢字で書いた時の字面がとてもカッコ良い反面、音と仮名(のろし)は間抜けな響きですよねぇ。

この数か月のとりこみ案件がめでたく終了し、漸くBLOG再開です。元々月イチだったけれども。

「漸く」と言えば、高校時代の数学の先生が「暫と漸はどっちがどっちだったかどうにも覚えられん」と言う話をしてたのを思い出します。その先生の解決方法は、「漸」は「さんずい」が付いているので、当時流行っていた(いや?当時でも「チョト前」だったと思うが)人気漫画「男組(アイドルぢゃないよ)」の主人公が「流全次郎(ながれぜんじろう)」て名前で、それに引っ掛けて「流れる≒『さんずいの付いた』方が『ぜん』と読む、忘れた時は『ながれぜんじろう』で思い出す」って覚え方だったそうです。


こういうのって、コジ着け具合が「上手い!!」って時は人に話してもそれ程違和感は無いですが、「そう!そう!そう!」の反応が怪しい時には、何となく言うのが憚られる気がします。他の場面ではガサツでKYなTFKですが、こんな時は気になっちゃいます。
「ながれぜんじろう」は、方法論として個人が使うなら勿論アリだと思いますよ。良く出来ている。だけど「流れる≒『さんずいの付いた』方」の部分の唐突感が、個人の好みの問題だからって事でスルーされない様な気がする。いや、実際の場面では誰も「えぇ~そうかなぁ」ってツッコミを入れて呉れる訳でもなく、でも「ふぅん(+沈黙)」型の「微妙」感が一瞬醸成されただけで表面上スルーされるんですよ、きっと。でも後日、発言者本人が居ない場所で「ホラ、あん時のアレさぁ・・・」って話にされちゃいそう。それでも盛り上がる話になるんなら、一定の貢献があってそれもまた良しですが、その場面でも結末は「微妙」型になっちゃう感じがして・・・。

  こんな細かいところ気にするのはTFKだけかも知れませんが・・・

同じコジ着けロジックの中でも「ながれぜんじろう」は、期間限定の面はありつつもスルーされ易いイメージです。個人の感覚の違いを超えて「そういうのもあるよね」感を得られる。限定期間過ぎた後であっても、考えた個人にとっては色褪せる事もなく「ながれ」と言えば「ぜんじろう」な訳ですから、「当時流行っててさぁ」の一言で説明出来ちゃいます。


因みに、とりこみ案件の中の一つに、チィートモ勉強しない息子の学校をどこにするか問題がありましたが、流全次郎のライバル、神竜剛次と同じ学校となりました(名前だけ)。全次郎も転校するから2人の後輩だね。

  何にしても片付いて良かった。


因みに、「どうにも覚えられん」と言えば、遠い昔の人気TV番組で「パペポTV」って言うのがあり、好きで観ていましたが、その中で出演者の上岡龍太郎さん(パンチ君ですね)が言っておられた話を思い出します。笑福亭鶴瓶師匠と上岡さんの二人でお話しされるだけなんですが、話題や話す内容、連動企画なんかは結構アナーキーな事やってましたねぇ。面白かった。

んで、「覚えられん」の話題で上岡さん曰く、子供が右と左を覚えられんのは「お箸が右でお茶碗が左」型の教育手法がそもそも悪いと。「こっちが右」を徹底的に教えて、間違わなくなってから「残った方が左」ってやらないからだと。

  良く解る。

皆がそうしないのは改めて教え方の検討をせず、前例主義的に自分の親から教わった手法にしてる、ってのもあるでしょうし、現実世界で「右」一辺倒で対処出来る期間はそう長くないから(幼稚園風の団体に所属しちゃったら無理ですかねぇ)、情報としての「左」をシャットアウトし切れないからなんでしょうか。そんな面倒な事考えて無ぇか。親忙しいし。

「暫と漸」問題には使えそうですね。「ぜん」が先で定着した後に「ざん」。さんずいの無い「斬=ざん」とかが参入して来ると、斬→漸→暫でしょうかね。仮借・転注(ん?こうだったかな?注の字が違う様な気がする・・・)の話があって、次に形声文字の話があって「漸」まで到達し、それまでは伝家の宝刀使わずに、ここで初めて「ざんでない方がぜん」だと。ん~良いねぇ。漢字の先生、もとい、そんな人居ないですね、国語の先生方、宜しくご検討を。左右問題の関しては、家政科や幼児教育の先生方、宜しくご検討を。

俺が奨める事ぢゃ無ぇか。


月イチレベルはそのままだと思いますが、何とか「のろし」が上がりました。TFK