2011年10月23日日曜日

文化の地続き  by TFK

遠い過去に書いた覚えがあるので今更隠す事ぁ無いんで書きますが、TFKは九州北部の出身です。外見は、これまた数度に亘って書いた事がありますが、一言で言うと「カッコ良くない外人顔」です。南米や地中海沿岸にお住まいの、微妙に混じったコーカソイドのイメージ。セリエAにソックリの選手が居るらしい(サッカー詳しくないので解りませんが、絶対、南部のチームに違いない)。新婚旅行で行ったシチリア島の空港に降り立った時のアノ「実家に帰った」かの様な安心感!更には、本国で筋金入りの非モテ系であるにも関わらず、南米で告られ寸前のモテ様!(誠に恐縮ですが最近ヘコみ気味なので、しばしの間、過去(一瞬)の栄光に浸って気持ちをメンテするのにお付き合い下さい。)


 もとい。

些細な事かも知れませんが、TFKの出身地、何か日本本土と感覚が少しだけズレてる感じがします。文化圏として「半島」だなぁと思う事は多いです。


 例えばネ、

土地の名産、明太子。韓国にもほぼ同じ食品があるんだそうで。遠い昔に壇太郎がTVでレポートやってた。辛さは控えめ~炎と多種あるらしいですが、付加するフレーバーが和モノより多いんだそうです。地元離れてかなり長いので今や違うのかも知れませんが、本邦モノと言えば、伝統食に近い歴史になろうとしている割には味が基本同じ方向性な感じ。別に美味しいから良いですが、最初から美味しいパターンが厳選されてある様な印象。同じ性質の中での美味いか不味いか、は厳然とあるけどね。先行=半島、伝播=福岡、って図式が良く判る気がする。

 それから、

TVのクイズ番組で、難読漢字(って言うか中国語ですな、最早)の読みで「蕃椒」って問題が出てました。下らない事なら何でも覚えているTFKも知らなかった。あっ下らない事ぢゃないからか。中国語として考えると、蕃(=洛陽からみて辺境の地)から来た椒(胡椒や山椒でわかる通り、ピリピリするスパイス)って事で、答えは「とうがらし」なんだそうで。胡(=西アジア)から来た胡椒は伝来経路からのネーミングで胡瓜と同タイプですね。実際の産地はインドだけれども。んで、この「蕃」が今回は正しくインドなんでしょう。

 ココで思った。

日本語は「とうがらし=唐辛子=中国から来た『からし(黄色)』」なんで、マスタード仲間な訳ですよ。和辛子/洋辛子/唐辛子。伝播経路で分類してあって共通点は「カラい」。ココ、唐辛子だけ違うでしょ?決して黄色い仲間ではないし、基本乾いてる。

一方、わが故郷では、唐辛子は「コショウ」なんです。ウソぢゃないよ。食卓で「コショウ取って」って言われたら七味を渡します。「とうがらし」でも勿論通じますが、少なくともドップリ博多iteの母親やその親戚群はコショウと呼んでました。洋モノの白いのは「洋ゴショウ」。共通点が「ピリピリ」で伝来時期による既存/新規参入の分類です。勿論、当時から「コショウ」で「洋ゴショウ」の意も通じていました。TFKは近代になって意味が混じったと読んでいます。

黒皮のヤツは「洋」が定着している上に乗っかって「黒コショウ」。一方、青唐辛子に柚子を混ぜた美味しいアレ、昨今メジャーになりつつある大分名産「柚子ゴショウ」は伝来の「辛子」型分類ぢゃない。ジャパンプロパーな方法論より、半島の認識に近いのではないかなと。間に山があるから大分の事例を含めて考えるのはどうかとも思いましたが、迂回出来るし超えられるレベルですからね。同根の特徴と思った訳です。

中国発信の情報伝播が、日本全体とは別ルート(半島経由九州着)でひとつある感じがしませんか?


 この機会に何か今まで感じた似た事例を並べるとですね、

福岡人って(あっ言っちゃった、まぁ良いけど)一般的に「熱し易く冷め易い」のだそうで。良く言われるけれども、本当の当事者にとって「ヨソ者は分って無ぇなぁ」ってなっちゃう事は、これまた「良くある」話ですが、この件については完全に当たり。たとえが古くて大変申し訳ないけれども、強かった時の西鉄ファンが太平洋→クラウンと弱くなっていったライオンズを見捨てた結果、埼玉に逃げられちゃった後、長い雌伏の時を経て、一転、地域を挙げてホークスを応援するようになった歴史が見事に物語っています。因みにTFKは運動音痴だった(今でも!)ので、スポーツとしての野球の内容がそもそも解らない、って部分と、生れついてのへそ曲がりの部分とで、ロゴのカッコ良かった阪急のファンでした。マルカーノ選手好きだったなぁ。これはTFKの外見も影響しているか。

先日、新聞で、昨今流行の「韓流」を遥か昔から実践されてきた、ってオバちゃんの記事を読みました。その方曰く、初対面で戦争責任云々から入り、クラスでも(留学されたんだそうです)仲間外れ期があり、でも、帰国の時には抱き合って涙流す様な友人が沢山出来たと。この情の深いところからハマって行ったんだそうです。その後の記事は分別臭い「今の韓流やKPOP流行は、日本の○○に対して韓国の△△がウケたが云々」の様な浅い事が書いてあっただけですが、本人談の「情が深い」クダリは深く納得出来ました。福岡の人ってこの部分、半島の人々と同じなの。

 個人的に嫌いな手法ではありますが、判り易く類型するとですね、

・地元へのコダワリは凄くあり、馴染まないヨソ者は基本、大嫌い
・でも東京から引っ越して来た人が居たら非常に憧れるけど言えない
・「何だよ~」「○○しなよ」「△△なの?」使いたいけど使えない
・一方で来てから結構経つのに「○○したと?」が使えない奴は排斥
・それでも中心/中央への憧れは強いから、自分は出て行きたがる
・一旦、中央方面に出ると、地元が恋しくて帰りたくなる/帰る
・帰ると殊更、ラーメンに明太子に水炊き食べて「博多は良かぁ~」

こんな感じ。悪く言えばお調子者で変わり身が早い。良く言えば直ぐ情に流される(ん?良く言ってないか)。韓国の方々の「○○道」間の対抗心に共通するとTFKは思っています。地元Onlyかと言うとそうでもない。だって皆が真に「地元のみ愛」を基準に暮らしてたら「両班」なんて成立しませんよ。寛容な心で「彼らは彼らで大変だからねぇ~」なんて差ぢゃなかったらしいですからね。利害や公平性の部分のみで見たら一番に血祭りでしょ。ある程度プラスの受け取り方してないと無理。この辺が、地元&中央の両方好きな行動様式と重なってる感じがしてならん。

 話はズレますが、

博多人、エエ加減な部分もありますね。地理をキチンと習う前の小学生や、尋常小学校までしか行ってない爺ちゃんや婆ちゃんにとって、横浜だろうが大宮だろうが船橋だろうが関東圏全て「東京」だった記憶があります。宇都宮の親戚からの連絡を「東京が○○って言うて来た」って表現してたのを確かに覚えてる。「今度川崎に引っ越すっちゃん」って友達に、その場に居た友達が「東京に行くと?」って聞き返してた。そのとき既にTFKも友人も川崎が神奈川県で、東京都ではない事は知っていましたが、違和感は無かったですねぇ。

エエ加減な部分は、福岡人ならずともあるみたいで、在京の大学に進んだTFKのお姉ちゃんが最初の夏休みに帰省した時に語っていたのが、良い例ですか。東京出身の友人曰く「福岡ってバナナ採れるんでしょ?」「亜熱帯だよね?」ですと。発言者が物を知らんバカなのか、意図的にバカにされてるのか、こりゃさすがに後者かな?世の中には計り知れんクルクルパーも居ますからね。本当に亜熱帯と思ってた可能性も捨てられん。ま、福/韓比較の今回の話には関係無いですな。


 因みにですね、

TFKは外見がゲリラだから、最初から福岡出身どころか日本人とすら思われませんが、言葉で出身がバレる事は滅多に無いです。

そもそも、博多弁は標準語を話す人とは話せない。必ず相手が必要であり、会話の中で使う言葉であって、「ちょっと福岡弁(あろうことか『九州弁』だったりする)で話してみてよ」には対応出来ないんです。頭の中でスイッチが切り替わる。現に学生の時に同郷の後輩と話す時でも、他に博多弁を解さない人が同席していると使えなかったです。母語である博多弁とは元々別の言語として標準語を覚えてるから、2つ混じる事は少なく、比較的正確に発音出来るからか、言葉では判らない事も多いんだとか。基本が同じであるところにイントネーションの違いが乗っている千葉の山の中や茨城の人々の方が、気付かずに混ぜて使ってしまう分、標準語族にはなまっている印象を受けるんだそうです。

上京当初、バレないと一瞬嬉しい気がして、しかし良く考えると寂しい、って事を確かに感じたよなぁ。釜山の人が仕事や進学でソウルに出て行ったら同じ感じがするんだろうか。今度聞いてみよう。

今回は、何かチョト賢そうな事書いた感じがする。無理矢理だけど、俺、グッジョブ!

2011年10月9日日曜日

古典は良い!!  by TFK

毎回書いている、更新頻度の言い訳はもう止めます。月イチすらも守れん。期待している方が居ないのは判っていますが今月は簡単に。スマソ。

TFKは幸いな事に通勤時間が50分程度で、しかもその中で電車に乗っている時間が合計しても25分程度しかありません。駅まで/乗り換え/駅からを抜いたら、待ち時間入れて大体半々って事です。この時間で毎週・隔週で買う雑誌や、仕事上の資料、本なんかを読む訳です。今、嘘吐きました。仕事の資料は読まない。持って帰るんだけど電車では読まない。家でも読まない。読もうとしても気が乗らないから読めない。行きの電車乗ってる間に読んどきゃぁ出社してから楽なのに読まない。この辺り、何度言っても勉強しないツツクサ息子と同じですな。血は争えん。

あっ、「ツツクサ」ってコレ↓の事です。

http://collablo.blogspot.com/2010/05/by-tfk.html

前回(コレ↓の事です)前提情報を繰り返さない事に怒ってた身として書いてみました。

http://collablo.blogspot.com/2011/07/by-tfk.html

結論:やっぱり繰り返しはウザいね。内容が仕事ぢゃないからか。


  もとい。


先日読了したのは、ジュール=ヴェルヌ作「八十日間世界一周」。

フランス語版を遠い過去に入手していたのを見つけて、そのVerを底本にした翻訳版が売っているのを見つけたので買って一緒に読みました。和文を1頁読んでは仏文を1頁、解らなくなったら繰り返し、みたいな感じ。通勤時間中=電車の中なので辞書は引けませんから、「家出のドリッピー」の要領です。ドリッピー聞いた事ないけど。広告見る限りでは、オーソン=ウェルズの渋い声で英語の朗読があったスグ後に和訳が流れて来て、耳で聞いた音の固まりが意味と併せて記憶される=英会話が出来る様になる=一度も海外勤務した事ないのに現地スタッフの言ってる事が判る=言いたい事がスラスラ英語で出て来る、って事らしいです。


  んな訳あるか!


取り乱しました(by上島竜平@ダチョウ倶楽部)。


それでも、内容が少年少女向けで複雑な内容・表現が少ない事と、話す訳ぢゃないから時制と格変化が正確に把握出来なくても意味が通るのと、挿絵が挿入場所も含めてソックリそのままなんで読んでる位置が狂わない(単語解らずに妙な場所を読んでる時に都度修正して呉れる)のとで、読み始めは結構苦労したものの、最後の方は想像よりもスラスラ進みました。映画は遠い昔に観て筋は知っていたつもりなんですが、観たのが遠い昔だったんで細かい展開を忘れてたのも良かったですね。大オチ知ってたけど、つまんなくならなかったし。


結論:とおぉぉ~おっっても面白い。ドキドキする。


ネタバレになりますから詳しくは書きませんが、行く手を邪魔する出来事のバリエーションとそれに対する解決方法が、結構想像を裏切っていて予定調和的でないんです。書かれた時代の制約があるので、当時としては「荒唐無稽」の範疇なんでしょうが、何でも波動砲でクリアみたいな某宇宙モノの様な無理矢理感は薄いです。そもそも冒険モノなんで、「あ~それか」「やっぱりそうしたのね」「今度もその前の○○で行くのか?」みたいな事が頻発すると、とてもつまんない。これが少ない一方で、矛盾してる様ですけども(特に困難を解決する場面では)過去の「お~それで来たか」って切り抜け方を、違う回でもズバッと出すと気持ち良い。この繰り返しの散りばめ方が丁度エエ(by二丁拳銃)。「そうだ!そこで○○だよ!」って爽快感ですよネ。


月並みですが、ストーリーテリングが上手い、って事でしょう。


自分としては嫌いな表現ですが、「子供だまし」な内容なのに大人の鑑賞に耐える作品と思いました。内容を単純化した童話版ではそう思えなかったかも。

因みに、想像したよりずっと沢山の仏単語がTFKの鈍い頭にも定着して、終わりの方は結構スピードアップ出来ましたよ。結構前から「カタカナ日本語化した言葉から語源を探るとイタリア語に繋がっている、って感じの面白い話によって、読んでるだけで何となくイタリア語が出来る様になって来る」って夢の様なメールマガジンを受信していますが、この感覚と似ています。勿論、イタリア語出来る様になんかなっていませんが、中学入ったばかりの時に、英単語を全部辞書で引いていた当時の様なイタリア語能力の初期の状態に比べれば、広告とかで「写真で意図は判るが文章は判らん」ってヤツの文章の方が何となくモヤァ~っと意味が解る程度にはなって来た。1年(もっとだったっけ?)位かかりましたけどね。「八十日」は仏語版で同じ感じの解り方(解り方の進み方?)ですな。仕事で要る訳ぢゃねぇからプレッシャーも無いし結構楽しい。自己満足レベルの語学習得の方法論としても、作品鑑賞としても成功と言って良いでしょう。

続いて、これまたジュール=ヴェルヌで「海底二万哩」を和文だけで読みました。仏語版見つけられなかった。コッチは少し繰り返し感が強い。当時の新機軸(解説からの受け売りです、スマソ)として科学技術の説明や海棲生物の名前や分類がしつこい位に出て来るので、この辺に興味の無い方には辛いかも知れん。とにかくほぼ全編に亘って海中の話ですからね。映像を想像しながら読むとまだマシですけれども、変化には乏しいと感じる向きも多いでしょうか。TECHNICOLORの映画の方を再度見ると違ってくるかも。まぁ、その分心理描写が結構深くて、この部分はTFKにはツボですかね。指輪物語でフロド=バギンズが指輪を嵌めた時の心理(物理的な攻撃ぢゃなくて自分の心と戦う、みたいなアノ感じ)とかと共通するイメージです。「八十日」に比べると「海底」はチョトだけガキっぽいですか。


今、仏文・和文を併せて読んでいるのは、アルフォンソ=ドーデー作「風車小屋便り」です。これも、紙魚の跡全開の遠い昔に買ったペーパーバックと底本です。序文の辺りが「八十日」程は一致してなくてチョト読みづらかったですが、和1/3頁&仏1/3頁サイクルを2~3回づつ繰り返しながら読んでおります。


「風車」のスピンオフとして「アルルの女」を読んだ(和文のみ)のは前にも書きました(↓)。

http://collablo.blogspot.com/2008/04/by-tfk.html

これはこれで非常に深い&不快(アルの為に言い訳しときますが、作品としてはとっても良いんですよ、TFKの読後感が自己嫌悪に繋がっただけで)。「風車」の中の「アルル」部分の時は3冊携帯で読むかな。


「風車」はきっと「八十日」レベルまで判る様にはならんでしょうな。テーマが大人過ぎ&枯れ過ぎ。読み終えるにはまだ当分掛かる見込みなんで、この後の計画は無いですが、もう一度ガキに戻って、次はヴェルヌつながりで「地底旅行」なんか良いんではないかと。映画も大好きだったし。サクヌッセン教授の持っている手回しの懐中電灯が欲しくてですねぇ。ランタン風の外見でハンドルが付いてて電池要らないの。地震後同じ思想の商品はあるけど太陽電池だからなぁ。鉱物用ハンマーも欲しかった。道具マニアのTFKとしては。あっ、間違えた。「教授」なのはリーデンブロックの方で、サクヌッセン敵役だ。先祖が学者。スマソ。

書いても映画のネタバレにはならないと思うので書いちゃいますが、TFKも皿に乗って飛んでみてぇ~。ココだけ読んで映画見たくなった方は是非、DVDを買って見ましょう。

ご購入の際は是非コチラ↓にあるジェフのお店から。

/http://www.ochiblo.com/

日向さん、元気ですかぁ!?(by猪木寛至)


始めて4年位経ちますが、やっと毒にも薬にもならないBLOG風の内容になって来ましたかね。遅ぇよ!

TFK頭の回転が人一倍鈍いので、時間の掛かり方を大目に見て(ガキだから自分はいいの)、俺、グッジョブ!