2008年4月21日月曜日

「ばかちゃん」って by TFK

自ら課した「最低限」である月イチ投稿すら危うい状態ですが、何とか書いています。同じ「ログ」でも、月次処理のバックアップログみたいになっちゃってますね。なんか面白くなさ具合と符合している様な・・・。「おもろ~っ!」な記事は(スミマセンね。最近ジャリズム大好きなんですよ。)日向さんに任せましょう、あんまり悲観的になるのは止して。

やっとここで本題。通勤途中に「アルルの女」読んだんです。有名な話なので、筋は書きませんが、南仏ロハス生活(意図的ではなく、時代として必然的にね)を描いた、「風車小屋便り(アルフォンソ=ドーデー)」からのスピンアウト企画=舞台化、って感じの戯曲です。ビゼー(カルメンで有名なひとですね)の美しい曲とセットです。

登場人物で、一家の中で「既に青年へと成長しているが、『チト足りない』が故に天真爛漫な子供のように振る舞う」人が出て来ます。時代の設定/当時の常識的な対応として、「役に立たないが、一家に幸運を呼ぶ/一家が平穏に過ごせる役目を身に引き受けている」扱いをされています。想像するに、先天的な性質であって人的な努力によって解決出来ないから、「運の総量」理論みたいな考え方をしたんでしょうね。理解は出来るんだけども、現代人としてはチョト非道いな、とも思いますが。

でもね。本人に対する呼び方がね、「ばか」なんですよ。作品は戯曲なので、ト書きに「皆から『ばか』と呼ばれている」って書いてあるんです。親戚のオバハンに至っては、「ねぇ、ばかちゃん」ですよ。

短絡的に/言葉狩り的に「怪しからん」とは決して言いません。読んだのは原語ぢゃないですから、正確なニュアンスが解っている訳でもないんですが、決して言葉に悪意は無いんですよねぇ。勿論、ストーリーからして悪意なんかある筈ないんですがね。それでもチョトだけ引っ掛かるのは、善良かつ純朴な田舎の人の、ダークサイドとしての「ガサツさ」見たいな部分でしょうか。「子供って結構残酷ぅ~」とかと同じ感じですかね。

まぁ、我ながら、「(時代背景やら何やら)カラクリ知らんと単純な物言いしとったらアカンど!」目線みたいな感じがして、これはこれで自己嫌悪です。言葉って難しい。

重い話になっちゃったので、今思い出したお話を。学生時代のクラブ活動では、代々「部誌」が作られていたんです。過去の(自分の入学前の)を読むと、要するに学生の内輪ウケ話が殆どなんですが結構面白いものもありました。その一つで、「タカハシ」さんと言う方の事を書いた文章があったんです。「内輪ウケ」なので内容はココで書いても意味は無いんですがね、同期生っぽい人が書いた文の中に、「タカハシ君、頭悪はし君って呼んでゴメンね。」って言うのがあったんです。んで、読み進むと、同じ冊子に、今度は「頭わるはしさんが・・・」ってのが出て来たんです。んっ、ちょっと待てよ。頭わるはし”さん”って、書いたの後輩!?あぁ、きっと皆からそう呼ばれてたんだ、と思いました。学生時代のこんな関係なら、一見「ばかちゃん」と同じに見えても良いですよね。