2011年4月22日金曜日

悲しみ方 by TFK

大好きだった、いや今でも大好きなキャンディーズの一人、田中好子さんが亡くなられたそうです。早過ぎる。

TFKはガキなので、自分の傍にある、好きなモノや人、事柄・状況は失われないもんだと思って暮らしておりました。そんなガキには正しい悲しみ方が判らん。



スーちゃん、グッジョブ!! お疲れ様でした。これからもずっと好きだよ。

2011年4月2日土曜日

覚え方  by TFK

先日ブラジルに出張に行って来ました。先日って言ってもカーニバル前なんで結構経ってますが。

出張先はカーニバル直前で盛り上がるリオデジャネイロ。外国の大都市の基本として(今や日本もそんな感じになって来てますが)治安が悪い。業務初日に昼食で行ったレストランから帰ったら、そのレストラン名指しで「先週末パーティーをやってたら、強盗が入って現金・腕時計・貴金属・携帯電話を奪われたので、あそこは要注意」ってメールが来てた。遅ぇよ。

確かに、ロンドンでバスに乗って移動してた時には、一見して「ココで夜降りたくねぇ~」って場所あったし、ナイロビは自分と見た目の違うアフリカ人が大勢居るから、圧倒されて最初凄く怖い感じがするけど、そう思わせておいて実は普通の良い人が多くって、悪いヤツは外見の問題ではなくて一定数居るんですよね。

サンチアゴも夜の街中はかなり怖かったし、その時に旅先で一緒になった学生(TFKも学生でしたけど)は、ブエノスアイレスがそれはそれは怖かった、と力説しておりました。勿論、アルゼンチンの人が全員悪者なんぢゃなく、大都市の定番としてギャングやヤクザや食い詰め系のスリ・強盗なんぞが巣食っている訳です。ピストル持って。

LAでは、宿で仲良くなったオージーと飲みに行く途中で、夜なのにサングラスのデカぁ~い黒人がナイフ持って通りに居て、2人で「あっナイフ持ってる」って気付いた時には3mくらいの距離になってて、って事がありましたね。有り金全部の様な演技を2人でして、22ドル払って通してもらいました。勿論、帰りは別の道から帰りましたがね(それでも飲みに行ったんかい!)。

一時期定説の如く言われていた、「パリやマドリッドは綺麗なところは沢山あるけれども、ストリートには掏りが沢山居て決して快適でない」も、言われていた当時はある程度真実だったんでしょうね。それだって、当然「=フランス人悪党揃い」の意味ではない訳で・・・・。

まぁ、各都市、怖アイテムの構成比率と数には違いがあるんでしょうがネ。TFKはそれ程感じないですが、慣れてない人には夜の新宿や池袋は怖いと思う。ただでさえ日本人、表情が読めないって言われてますから。

TFKの経験の中で怖くなかったのは、改名前のムンバイと返還前の香港くらいかな(そもそも都市部に旅行する事は少ないですが)。香港ぢゃ相当裏道まで入り込んだ場所で夜中に遊んだ覚えがありますが、実績として何も無かった以上に、そもそも危ない感じがしませんでした。

一番怖かったのはマニラかな?刑務所ツアーで鉄砲撃った時は相当でしたね。マイクロバスが刑務所内に入って鉄の扉がしまった瞬間に、案内人が「今日、本当は都合の悪い時に入れてもらってるから、最初に言った値段と違うんだけど・・・・」とか言い出した時はねぇ。払わなかったけど。


 もとい。本題は「怖い場所」ぢゃない。


リオは、いかにもな怖い地域ではなく、普通の綺麗な場所に隣り合って非常に怖いエリアがあるイメージですか。或いは地域として全然OK風な場所に、居そうにない怖い人々(ストリートギャング・強盗の類ですね)が歩いてて結構見分けが付かない、様な感じ。オリンピックに合わせてギャングの巣窟を警察が徹底摘発した結果、地域に限定せずに街中へ潜伏したんだとか。一緒に仕事したブラジル人も、かの有名なコパ=カバーナ海岸を「危ないからは夜は絶ぇっ対近付くな」って言ってた。

んで、現場の事務所はまだ無くて、その危ないコパ=カバーナすぐ傍のホテル住まい。現地で組んでいる会社のオフィスの一角を借りていて、そこへ出勤します。当然の帰結として、毎朝ホテル前から同僚皆で固まってタクシーに分乗し、オフィスへ行きます。だぁって、在ブラジル日本商工会議所の案内が「極力バスには乗らない様に」ですからね。地下鉄も「昼間ならOK」なんだそうで。「公共」交通機関って言葉の意味は?って思います。

それでも仕事で一人だけ遅くなる事もあるし、(TFKは短かったですが)休日の単独行動も当然ある訳で、少なくとも一人でタクシー乗ってオフィスとホテルの場所くらいは言えないと話にならんのですよ。勿論ポルトガル語なんて出来ないから、先に赴任している方から習って音で完コピして覚える訳ですよ。

 ホテルは「バラッタ・ヒベイロ・ドゥエ・ドゥエ・ドゥエ」
 意味は、Rua Barata Ribeiro(=通りの名前です)の222番地って事。

 事務所は「リオ・ブランコ・コン・ブエノス・アイレス」
 意味は、Avenida Rio Blanco(=通り)とAvenida Buenos Aires(=通り)の交差点。

日本語で同じ「通り」でもAvenida(大)と、Rua(小)の違いがあるらしい。基準が良く判らん。


で、後から地図で綴りを見て気付いたのが、「リオ・ブランコ(Rio Blanco)」って「白い川」って意味なんですね。映画「リオ=ブラボー」のリオ、リオ=デ=ジャネイロ(1月の川って意味だそうで)のリオです。同じくアルゼンチンの首都の名前でもある「ブエノス・アイレス(Buenos Aires)」は良い空気/美味しい空気ですと。それぞれ通りの名前に使われる由来になった場所があって、発見者・乗り込んだ総督が名づけたんだそうです。「リオ・ブランコ」の方は人名→場所→通りの様で(ハッキリとは判らん)。それにしても「発見者」って不遜だねぇ。既に住んでた人大勢いたんですよ。名前だってあるし。


 もとい。本題は「欧州人による搾取と侵略の歴史」ぢゃない。


地図上の交差点見てて思いついた。確か日本にも「清澄」通りってのと「白河」通りってのが両方あるゾ。しかも交差してて「清澄白河」って場所があった筈。おっと今調べたら清澄白河駅(地下鉄の大江戸線)まであるゾ。
そうですよ。「澄んだ清清しい空気」に「白い川」の交差点で「清澄白河」、ポルトガル語判らんヤツの覚え方としては完璧ぢゃないですか。おまじないの如き「リオブランココンブエノスアイレス」よりはずっとイイ。この出張、仕事はそこそこシビアな内容だったんですが、これがツボにはまって何か結構満足してました。


現地での仕事とは別に、行き帰り地球半周もすると、30時間(待ち時間入れるともっと)くらい風呂なしで過ごさなきゃいけないし、テロ以来、空港でゲート通る度にベルト外してズボンを押さえた間抜けな姿でウロウロしなきゃいけないし、それはそれで結構な負担に思えたんですが、道中ほとんど全て映画観られたので、こちらもチャラかなと。

TFK映画好きなんですが、なかなか劇場にも行けないし、特にロードショーものの近年の映画は(子供と行くポケモン以外)殆ど観てなかったんです。いや、ポケモンそれなりに面白いけれども。お小遣い生活者なので、同じ1,800円なら少しでも面白いヤツを、って映画評見て検討しまくって結局行けない、のを繰り返してました。機内で12本くらい見たと思う。メシと寝た時間とチョトだけ仕事以外ほぼ全部。満足したぁ~。


体力的には疲れたけど良い経験でした。大江戸線、グッジョブ!!