2011年11月20日日曜日

文学の冒険シリーズ  by TFK

TFKはケチなので、画集を除けば本を買う時は文庫本派なんですが、唯一ハードカバーを買っているのは「国書刊行会」と言う、一見、右旋回の名前を持つ出版社の「文学の冒険」シリーズだけです。ちゃんと調べてませんが、出版ラインナップ見る限りでは右旋回していない模様。

このシリーズ、結構長く続いている(今も続々刊行中)んですが、シリーズ名の「冒険」に違わず、著者の本拠(出身地)に従って世界中を巡っている感じのセレクションです。スカスカ読めるタイプの作品が結構少なく、かなり骨のある/読むのに時間が掛かるものを選んで出しています。
では、元来ものぐさのTFKが何故続けて購入し。読み続けられているかと言うと、まず、第1回目の配本がスカスカ系(内容が無いって意味ぢゃないですよ)の「不在の騎士(イタロ=カルヴィーノ)」で、偶然手にとって2頁程立ち読みした瞬間に、金も無いのに買っちゃったからです。

 面白いのよ。

装丁から挿絵(あんまり無いけど)まで、何もかもイイ!!!ファンタジー好きで、外見がイタリア顔なんで、同郷の(違うよ!!!)作者を贔屓目に見ているのを差し引いても、とても面白いです。


コラブロ読者が居る、と勝手に不遜な前提を置いて言い切っちゃいますが、スジは読んでのお楽しみなので書きませんね。

元々、カルヴィーノ爵位シリーズの中の一つの様で、

 「木のぼり男爵」
 「まっぷたつの子爵」
 「不在の騎士」

なんかがあるみたいです。

あっ、先に言っときますが、本当に「爵位シリーズ」って名前かどうか知りませんからね。TFKが勝手に付けました。今調べたら↑の3作しかなかった。3冊まとめて「我々の祖先」って本になってる!結婚して会社の寮を出る時に保管場所の問題で泣く泣く手放した「男爵」と「子爵」を再度買おうかとズゥーッと思ってたけど、まとまった方を買うべきか・・・・。

勿論、今でも「サーの称号云々」って事を言いますので、現在でもある地域の方々にとっては爵位ってヤツが継続しているのかも知れませんが、3部作は勿論、昔の話。「時は中世、△△国の○○地方に××と言う騎士がおりました・・・」ってな感じ。

是非読んでみて下さい。宜しければ、日向さんのところにあるジェフのお店から↓

http://www.ochiblo.com/

最近、書評(って言う程大したモンぢゃないですけれども)が多いのは、読む時間が増えたからです。あっ、それと自分自身で思いつくネタが無くなって来たって事か!そうかも知れん。いや元々そうか!?


まぁいいや。別にウンチク王な訳ぢゃないし。勿論、ウンチ王でもないですけれども。

とは言え、家族3人の中では最も悪質な臭いのウンコをするのがTFKだそうです(嫁はん評)。屁に関しても家族内ランキングで堂々1位の臭さを誇っています(嫁はん&息子評)。ちっとも勉強しない息子曰く「キノコの臭いだぁ」との事。判る気もする。

キノコと言えば、松茸って日本人には「良い香り(永谷園のアレです)」で大体の方々には通じると思いますが、食べる習慣の無い人々にとっては「湿った靴下の臭い」なんだそうです。多分肉食の白い人々(=従って窒素分の多い排泄物なんでしょうな、臭いが高濃度になるのも解る・・・)が言ってるんでしょう。


 もとい(あまりにお下品ですか、スマソ)。


目からウロコのことばかり書く事は出来ませんけれども、役に立たん事はとりあえず書けた。最近、長い(しかも中身の無い)ヤツが続いてましたからね、今日のところはこの位にしといたらぁ(by池乃めだか@吉本新喜劇)。


偉そうですが、カルヴィーノ、グッジョブ!

2011年10月23日日曜日

文化の地続き  by TFK

遠い過去に書いた覚えがあるので今更隠す事ぁ無いんで書きますが、TFKは九州北部の出身です。外見は、これまた数度に亘って書いた事がありますが、一言で言うと「カッコ良くない外人顔」です。南米や地中海沿岸にお住まいの、微妙に混じったコーカソイドのイメージ。セリエAにソックリの選手が居るらしい(サッカー詳しくないので解りませんが、絶対、南部のチームに違いない)。新婚旅行で行ったシチリア島の空港に降り立った時のアノ「実家に帰った」かの様な安心感!更には、本国で筋金入りの非モテ系であるにも関わらず、南米で告られ寸前のモテ様!(誠に恐縮ですが最近ヘコみ気味なので、しばしの間、過去(一瞬)の栄光に浸って気持ちをメンテするのにお付き合い下さい。)


 もとい。

些細な事かも知れませんが、TFKの出身地、何か日本本土と感覚が少しだけズレてる感じがします。文化圏として「半島」だなぁと思う事は多いです。


 例えばネ、

土地の名産、明太子。韓国にもほぼ同じ食品があるんだそうで。遠い昔に壇太郎がTVでレポートやってた。辛さは控えめ~炎と多種あるらしいですが、付加するフレーバーが和モノより多いんだそうです。地元離れてかなり長いので今や違うのかも知れませんが、本邦モノと言えば、伝統食に近い歴史になろうとしている割には味が基本同じ方向性な感じ。別に美味しいから良いですが、最初から美味しいパターンが厳選されてある様な印象。同じ性質の中での美味いか不味いか、は厳然とあるけどね。先行=半島、伝播=福岡、って図式が良く判る気がする。

 それから、

TVのクイズ番組で、難読漢字(って言うか中国語ですな、最早)の読みで「蕃椒」って問題が出てました。下らない事なら何でも覚えているTFKも知らなかった。あっ下らない事ぢゃないからか。中国語として考えると、蕃(=洛陽からみて辺境の地)から来た椒(胡椒や山椒でわかる通り、ピリピリするスパイス)って事で、答えは「とうがらし」なんだそうで。胡(=西アジア)から来た胡椒は伝来経路からのネーミングで胡瓜と同タイプですね。実際の産地はインドだけれども。んで、この「蕃」が今回は正しくインドなんでしょう。

 ココで思った。

日本語は「とうがらし=唐辛子=中国から来た『からし(黄色)』」なんで、マスタード仲間な訳ですよ。和辛子/洋辛子/唐辛子。伝播経路で分類してあって共通点は「カラい」。ココ、唐辛子だけ違うでしょ?決して黄色い仲間ではないし、基本乾いてる。

一方、わが故郷では、唐辛子は「コショウ」なんです。ウソぢゃないよ。食卓で「コショウ取って」って言われたら七味を渡します。「とうがらし」でも勿論通じますが、少なくともドップリ博多iteの母親やその親戚群はコショウと呼んでました。洋モノの白いのは「洋ゴショウ」。共通点が「ピリピリ」で伝来時期による既存/新規参入の分類です。勿論、当時から「コショウ」で「洋ゴショウ」の意も通じていました。TFKは近代になって意味が混じったと読んでいます。

黒皮のヤツは「洋」が定着している上に乗っかって「黒コショウ」。一方、青唐辛子に柚子を混ぜた美味しいアレ、昨今メジャーになりつつある大分名産「柚子ゴショウ」は伝来の「辛子」型分類ぢゃない。ジャパンプロパーな方法論より、半島の認識に近いのではないかなと。間に山があるから大分の事例を含めて考えるのはどうかとも思いましたが、迂回出来るし超えられるレベルですからね。同根の特徴と思った訳です。

中国発信の情報伝播が、日本全体とは別ルート(半島経由九州着)でひとつある感じがしませんか?


 この機会に何か今まで感じた似た事例を並べるとですね、

福岡人って(あっ言っちゃった、まぁ良いけど)一般的に「熱し易く冷め易い」のだそうで。良く言われるけれども、本当の当事者にとって「ヨソ者は分って無ぇなぁ」ってなっちゃう事は、これまた「良くある」話ですが、この件については完全に当たり。たとえが古くて大変申し訳ないけれども、強かった時の西鉄ファンが太平洋→クラウンと弱くなっていったライオンズを見捨てた結果、埼玉に逃げられちゃった後、長い雌伏の時を経て、一転、地域を挙げてホークスを応援するようになった歴史が見事に物語っています。因みにTFKは運動音痴だった(今でも!)ので、スポーツとしての野球の内容がそもそも解らない、って部分と、生れついてのへそ曲がりの部分とで、ロゴのカッコ良かった阪急のファンでした。マルカーノ選手好きだったなぁ。これはTFKの外見も影響しているか。

先日、新聞で、昨今流行の「韓流」を遥か昔から実践されてきた、ってオバちゃんの記事を読みました。その方曰く、初対面で戦争責任云々から入り、クラスでも(留学されたんだそうです)仲間外れ期があり、でも、帰国の時には抱き合って涙流す様な友人が沢山出来たと。この情の深いところからハマって行ったんだそうです。その後の記事は分別臭い「今の韓流やKPOP流行は、日本の○○に対して韓国の△△がウケたが云々」の様な浅い事が書いてあっただけですが、本人談の「情が深い」クダリは深く納得出来ました。福岡の人ってこの部分、半島の人々と同じなの。

 個人的に嫌いな手法ではありますが、判り易く類型するとですね、

・地元へのコダワリは凄くあり、馴染まないヨソ者は基本、大嫌い
・でも東京から引っ越して来た人が居たら非常に憧れるけど言えない
・「何だよ~」「○○しなよ」「△△なの?」使いたいけど使えない
・一方で来てから結構経つのに「○○したと?」が使えない奴は排斥
・それでも中心/中央への憧れは強いから、自分は出て行きたがる
・一旦、中央方面に出ると、地元が恋しくて帰りたくなる/帰る
・帰ると殊更、ラーメンに明太子に水炊き食べて「博多は良かぁ~」

こんな感じ。悪く言えばお調子者で変わり身が早い。良く言えば直ぐ情に流される(ん?良く言ってないか)。韓国の方々の「○○道」間の対抗心に共通するとTFKは思っています。地元Onlyかと言うとそうでもない。だって皆が真に「地元のみ愛」を基準に暮らしてたら「両班」なんて成立しませんよ。寛容な心で「彼らは彼らで大変だからねぇ~」なんて差ぢゃなかったらしいですからね。利害や公平性の部分のみで見たら一番に血祭りでしょ。ある程度プラスの受け取り方してないと無理。この辺が、地元&中央の両方好きな行動様式と重なってる感じがしてならん。

 話はズレますが、

博多人、エエ加減な部分もありますね。地理をキチンと習う前の小学生や、尋常小学校までしか行ってない爺ちゃんや婆ちゃんにとって、横浜だろうが大宮だろうが船橋だろうが関東圏全て「東京」だった記憶があります。宇都宮の親戚からの連絡を「東京が○○って言うて来た」って表現してたのを確かに覚えてる。「今度川崎に引っ越すっちゃん」って友達に、その場に居た友達が「東京に行くと?」って聞き返してた。そのとき既にTFKも友人も川崎が神奈川県で、東京都ではない事は知っていましたが、違和感は無かったですねぇ。

エエ加減な部分は、福岡人ならずともあるみたいで、在京の大学に進んだTFKのお姉ちゃんが最初の夏休みに帰省した時に語っていたのが、良い例ですか。東京出身の友人曰く「福岡ってバナナ採れるんでしょ?」「亜熱帯だよね?」ですと。発言者が物を知らんバカなのか、意図的にバカにされてるのか、こりゃさすがに後者かな?世の中には計り知れんクルクルパーも居ますからね。本当に亜熱帯と思ってた可能性も捨てられん。ま、福/韓比較の今回の話には関係無いですな。


 因みにですね、

TFKは外見がゲリラだから、最初から福岡出身どころか日本人とすら思われませんが、言葉で出身がバレる事は滅多に無いです。

そもそも、博多弁は標準語を話す人とは話せない。必ず相手が必要であり、会話の中で使う言葉であって、「ちょっと福岡弁(あろうことか『九州弁』だったりする)で話してみてよ」には対応出来ないんです。頭の中でスイッチが切り替わる。現に学生の時に同郷の後輩と話す時でも、他に博多弁を解さない人が同席していると使えなかったです。母語である博多弁とは元々別の言語として標準語を覚えてるから、2つ混じる事は少なく、比較的正確に発音出来るからか、言葉では判らない事も多いんだとか。基本が同じであるところにイントネーションの違いが乗っている千葉の山の中や茨城の人々の方が、気付かずに混ぜて使ってしまう分、標準語族にはなまっている印象を受けるんだそうです。

上京当初、バレないと一瞬嬉しい気がして、しかし良く考えると寂しい、って事を確かに感じたよなぁ。釜山の人が仕事や進学でソウルに出て行ったら同じ感じがするんだろうか。今度聞いてみよう。

今回は、何かチョト賢そうな事書いた感じがする。無理矢理だけど、俺、グッジョブ!

2011年10月9日日曜日

古典は良い!!  by TFK

毎回書いている、更新頻度の言い訳はもう止めます。月イチすらも守れん。期待している方が居ないのは判っていますが今月は簡単に。スマソ。

TFKは幸いな事に通勤時間が50分程度で、しかもその中で電車に乗っている時間が合計しても25分程度しかありません。駅まで/乗り換え/駅からを抜いたら、待ち時間入れて大体半々って事です。この時間で毎週・隔週で買う雑誌や、仕事上の資料、本なんかを読む訳です。今、嘘吐きました。仕事の資料は読まない。持って帰るんだけど電車では読まない。家でも読まない。読もうとしても気が乗らないから読めない。行きの電車乗ってる間に読んどきゃぁ出社してから楽なのに読まない。この辺り、何度言っても勉強しないツツクサ息子と同じですな。血は争えん。

あっ、「ツツクサ」ってコレ↓の事です。

http://collablo.blogspot.com/2010/05/by-tfk.html

前回(コレ↓の事です)前提情報を繰り返さない事に怒ってた身として書いてみました。

http://collablo.blogspot.com/2011/07/by-tfk.html

結論:やっぱり繰り返しはウザいね。内容が仕事ぢゃないからか。


  もとい。


先日読了したのは、ジュール=ヴェルヌ作「八十日間世界一周」。

フランス語版を遠い過去に入手していたのを見つけて、そのVerを底本にした翻訳版が売っているのを見つけたので買って一緒に読みました。和文を1頁読んでは仏文を1頁、解らなくなったら繰り返し、みたいな感じ。通勤時間中=電車の中なので辞書は引けませんから、「家出のドリッピー」の要領です。ドリッピー聞いた事ないけど。広告見る限りでは、オーソン=ウェルズの渋い声で英語の朗読があったスグ後に和訳が流れて来て、耳で聞いた音の固まりが意味と併せて記憶される=英会話が出来る様になる=一度も海外勤務した事ないのに現地スタッフの言ってる事が判る=言いたい事がスラスラ英語で出て来る、って事らしいです。


  んな訳あるか!


取り乱しました(by上島竜平@ダチョウ倶楽部)。


それでも、内容が少年少女向けで複雑な内容・表現が少ない事と、話す訳ぢゃないから時制と格変化が正確に把握出来なくても意味が通るのと、挿絵が挿入場所も含めてソックリそのままなんで読んでる位置が狂わない(単語解らずに妙な場所を読んでる時に都度修正して呉れる)のとで、読み始めは結構苦労したものの、最後の方は想像よりもスラスラ進みました。映画は遠い昔に観て筋は知っていたつもりなんですが、観たのが遠い昔だったんで細かい展開を忘れてたのも良かったですね。大オチ知ってたけど、つまんなくならなかったし。


結論:とおぉぉ~おっっても面白い。ドキドキする。


ネタバレになりますから詳しくは書きませんが、行く手を邪魔する出来事のバリエーションとそれに対する解決方法が、結構想像を裏切っていて予定調和的でないんです。書かれた時代の制約があるので、当時としては「荒唐無稽」の範疇なんでしょうが、何でも波動砲でクリアみたいな某宇宙モノの様な無理矢理感は薄いです。そもそも冒険モノなんで、「あ~それか」「やっぱりそうしたのね」「今度もその前の○○で行くのか?」みたいな事が頻発すると、とてもつまんない。これが少ない一方で、矛盾してる様ですけども(特に困難を解決する場面では)過去の「お~それで来たか」って切り抜け方を、違う回でもズバッと出すと気持ち良い。この繰り返しの散りばめ方が丁度エエ(by二丁拳銃)。「そうだ!そこで○○だよ!」って爽快感ですよネ。


月並みですが、ストーリーテリングが上手い、って事でしょう。


自分としては嫌いな表現ですが、「子供だまし」な内容なのに大人の鑑賞に耐える作品と思いました。内容を単純化した童話版ではそう思えなかったかも。

因みに、想像したよりずっと沢山の仏単語がTFKの鈍い頭にも定着して、終わりの方は結構スピードアップ出来ましたよ。結構前から「カタカナ日本語化した言葉から語源を探るとイタリア語に繋がっている、って感じの面白い話によって、読んでるだけで何となくイタリア語が出来る様になって来る」って夢の様なメールマガジンを受信していますが、この感覚と似ています。勿論、イタリア語出来る様になんかなっていませんが、中学入ったばかりの時に、英単語を全部辞書で引いていた当時の様なイタリア語能力の初期の状態に比べれば、広告とかで「写真で意図は判るが文章は判らん」ってヤツの文章の方が何となくモヤァ~っと意味が解る程度にはなって来た。1年(もっとだったっけ?)位かかりましたけどね。「八十日」は仏語版で同じ感じの解り方(解り方の進み方?)ですな。仕事で要る訳ぢゃねぇからプレッシャーも無いし結構楽しい。自己満足レベルの語学習得の方法論としても、作品鑑賞としても成功と言って良いでしょう。

続いて、これまたジュール=ヴェルヌで「海底二万哩」を和文だけで読みました。仏語版見つけられなかった。コッチは少し繰り返し感が強い。当時の新機軸(解説からの受け売りです、スマソ)として科学技術の説明や海棲生物の名前や分類がしつこい位に出て来るので、この辺に興味の無い方には辛いかも知れん。とにかくほぼ全編に亘って海中の話ですからね。映像を想像しながら読むとまだマシですけれども、変化には乏しいと感じる向きも多いでしょうか。TECHNICOLORの映画の方を再度見ると違ってくるかも。まぁ、その分心理描写が結構深くて、この部分はTFKにはツボですかね。指輪物語でフロド=バギンズが指輪を嵌めた時の心理(物理的な攻撃ぢゃなくて自分の心と戦う、みたいなアノ感じ)とかと共通するイメージです。「八十日」に比べると「海底」はチョトだけガキっぽいですか。


今、仏文・和文を併せて読んでいるのは、アルフォンソ=ドーデー作「風車小屋便り」です。これも、紙魚の跡全開の遠い昔に買ったペーパーバックと底本です。序文の辺りが「八十日」程は一致してなくてチョト読みづらかったですが、和1/3頁&仏1/3頁サイクルを2~3回づつ繰り返しながら読んでおります。


「風車」のスピンオフとして「アルルの女」を読んだ(和文のみ)のは前にも書きました(↓)。

http://collablo.blogspot.com/2008/04/by-tfk.html

これはこれで非常に深い&不快(アルの為に言い訳しときますが、作品としてはとっても良いんですよ、TFKの読後感が自己嫌悪に繋がっただけで)。「風車」の中の「アルル」部分の時は3冊携帯で読むかな。


「風車」はきっと「八十日」レベルまで判る様にはならんでしょうな。テーマが大人過ぎ&枯れ過ぎ。読み終えるにはまだ当分掛かる見込みなんで、この後の計画は無いですが、もう一度ガキに戻って、次はヴェルヌつながりで「地底旅行」なんか良いんではないかと。映画も大好きだったし。サクヌッセン教授の持っている手回しの懐中電灯が欲しくてですねぇ。ランタン風の外見でハンドルが付いてて電池要らないの。地震後同じ思想の商品はあるけど太陽電池だからなぁ。鉱物用ハンマーも欲しかった。道具マニアのTFKとしては。あっ、間違えた。「教授」なのはリーデンブロックの方で、サクヌッセン敵役だ。先祖が学者。スマソ。

書いても映画のネタバレにはならないと思うので書いちゃいますが、TFKも皿に乗って飛んでみてぇ~。ココだけ読んで映画見たくなった方は是非、DVDを買って見ましょう。

ご購入の際は是非コチラ↓にあるジェフのお店から。

/http://www.ochiblo.com/

日向さん、元気ですかぁ!?(by猪木寛至)


始めて4年位経ちますが、やっと毒にも薬にもならないBLOG風の内容になって来ましたかね。遅ぇよ!

TFK頭の回転が人一倍鈍いので、時間の掛かり方を大目に見て(ガキだから自分はいいの)、俺、グッジョブ!

2011年7月31日日曜日

隠すな!!  by TFK

書いたのは月が変ってからですが、インチキで7月スベり込みみたいにしちゃいました。そもそも6月も書けなかったし、期待して待っている方々も居ないだろうし、って誰に向かって言い訳してるんだ、俺は(byモロ師岡@どこ行っちゃったんでしょう?TFK結構好きだったのに)。代わりに、と言っちゃぁ変ですが、とても長いです。先に謝っときましょう。スマソ。


TFKはアタマがヨワい(@船乗りクプクプの冒険by北杜夫先生)ので、大抵の「言われてない」事を自ら察する事が出来ない。まっ近年良く言われる「空気読めない」タイプです。それやっちゃイケないんだったら、どっかに書いといて下さいよ(by堀江@有罪)ってな感じです。

例えばですね、

  「相撲では身体がデカければ強いって訳ぢゃない、そもそも、重心が云々」に対し、
  「体重が20tある力士は絶対に動かせないから、デカい=強いでは?」って言い、

  「現実にそんなヤツ居ねぇよ、小錦だって300kg位・・・」のツッコミに対し、
  「それなら『現実に存在する人間の中で』って前提を省略すんぢゃねぇ」って言い、

  「元々『相撲』っつってんだから、それ位判れよ、言わなくっても」の反論に対し、
  「判らんとは言わんが『相撲』だけで、聞いてる全員が判ると思うな」ってゴネる

様なヤツなんです。我ながら書いててヘコむなぁ。嫌な野郎だ。


厳密な話をすれば、屁理屈野郎TFKの論理にも矛盾と言うか「言外の前提」がありますよね。

20tあれば動かせないのは「現存する人間が相撲をやるから」であって、時代の流れと共に、宇宙人とかロボットとかエスパーとか恐竜とか鯨とかが参戦する様になったら、20tあったって「押し出し」「ビーム」「サイコキネシス」「張り尾」「飲み込み」とかの決まり手で負ける場合は大アリな訳です。いや「飲み込み」て。自分はセーフにしといて人にはツッコミ入れる、って、益々嫌なヤツ。


もとい、自ら鬱病になろうっ、て事を書きたいんぢゃないし。メンタルヘルスケアの為にも、ココはガキの如く「俺はいいの!」って事で流そう。だって、この場でも何度も書いた様に、TFKガキだから。


本題です。

アタマのヨワいTFKは、昨今はやりの放射線がどうして健康に悪いのかが解らん。理由を知らないからって決して「健康に悪いのがウソ」って思ってる訳ぢゃないです。ガキだから自分に都合良くカッコ良さげに言っちゃうと、ジャーナリストの如くですね、

 多数が言っている
 →多数の中の全員がダマされている訳ではない
  ←昔と違って発信手段があるから反論あれば出てくる筈
   →情報統制されている可能性は?
    ←統制されてても漏れるに違いない
     →某日の没する国の様に、出づる国でも全力で統制してたとしたら?
      ←放射線に限らず、他にも漏れた事あったし、その差に説明が付かない
 →ダマされてない人がいて、かつ賛否両方出てる(どちらも相当数)と思うべき
 →どちらもある程度本当(差異は根拠と情報評価の立ち位置のみ)と考えるべき
  →健康に悪い側の説明に巧妙なウソが混じっている可能性は?
   ←用語一つづつ見ると、今回問題以前に出ていた用語も数多く、全部ウソは考え難い
    →元々「活性酸素が・・・」「DNA情報が傷付くと・・・」が全部ウソだったのでは?
     ←発信手段の少なかった当時はともかく、今時「全部ウソ」は可能性薄い
 →データがある=その事実だけは正しいのでは?

みたいな順序を経て、「悪い」事は理解しているつもりです。ジャーナリストこんな面倒な事考えてないですか。

その結果、TFK個人の捉え方としては、

  ある事に対して「どうして」が解らんと「だからどうすれば良い」が解らん。
  もし「どうすれば」の解答をもらっても、納得行かない内は、当否が判らん。
  やっている事の当否が判らんと(何回かは実行出来ていても)本気にならん。
  本気にならんと(根が怠け者で、しかもガキ=根気ゼロですからね)続かん。

ってなっちゃいます。


今、どうしてるかと言うと、認識を「悪いものが前より増えている数値が報告されているが、幸運な事に現住所において『神経質になる程ではない』状況に違いない」ってポジションに置き、対策を「野菜なんかはなるべく洗って食べましょう」位しかやらない、って対処に留めています。結局、海か汚水処理場の汚泥にツケ回してるだけですけどね。悔しいけど。


書いてて、構造的に、回りくどい思考をする「屁理屈野郎」が「普通の人」の常識について行けなくなる原因が見えて来た様な気がします。

「屁理屈野郎」って漢字で書くと「屁」が2回出て来る様に見えません?以前にも「四匹」って書くと同じ字でフォント変えたみたいに見える、って書いた覚えがありますが、いや、今回フォントの話ぢゃない。


  もとい。


TVや新聞の世界は、今語られている話題に途中から入った人々に対して、適切な前提情報の提供を行わない業界なんだろうなぁと思っています。例えば、原作漫画の方が好きでTVシリーズになったから見てみた、って時に「最初から話を知っている人は良いけど、TVだけ見てる人は『何でこのキャラこんなヤツなんだろう?』って思うんだろうなぁ」って感じる事が結構ある。

まぁ、好きだから見る訳で、従って思い入れがあるから「違うんだよ!」って感じる場面が多くなり勝ちなのを差し引いても、「このエピソード抜きで話が進めてもダメだろう」「前提なしで見て判る人居るのか?」って思う場面ありますよねぇ。

ジョナサン=ジョースターとの話を飛ばしてディオ=ブランドーが出てきても、空条承太郎が何で戦ってるのか判らんよ。幽波紋=スタンドは「何かカッコ良いネーミングだな」ぢゃなくて、スタンドバイミー(Ben E. King=元ドリフの名曲ありますね、真偽は不明ながらコレからとった名前らしい)から説明しないとダメぢゃねぇか!

取り乱しました(by上島竜兵@ダチョウ倶楽部)。

この辺はジョジョ愛好家には常識レベルで、まだまだ甘いと思われるんでしょうが、浅いファンのTFKでもそう思う。思い入れが原因って事ですね。そこだけ抜いて所与の設定を受け入れて見れば、話としては(映像も)十分面白い。TVじゃなくてOVAだけど。


質が上がると逆パターン(ファンからすれば言いたい事は山程あるけど、前提情報抜きでも作品が格段に面白い)ってのもあります。あっ、JoJoもコッチよ。前提抜きでも面白いから。

いしいひさいち先生が、現在、某(海軍の旗の)大手新聞に連載している4コマ漫画には、前提なく、ヤブ医者の「ヒロオカ先生」とか、主人公の通っている小学校の「タブチ先生」とか「ヤスダ先生」とかが普通に登場します。裏側にモデルは居ても有名人ではないから我々一般読者には判らない、或いはモデルの居ない純架空のキャラクターと等価に出て来ます。何の説明も無く。これに関しては連載始まった当初から知ってるから確かです。

これが管理野球の広岡監督だとか、江夏とバッテリー組んでた田淵だとか、ヤクルトの安田だとか判る人少ないだろうと思います。でも面白い。知ってたらもっと面白いのに、って思うけど説明はありません。

まっ、こんな感じで前提情報をトバす事は多いと感じております。


娯楽の世界なら、「それでも面白いから良い」「今人気が出ているからTV化したってのに、初期の話とか要らねぇよ」「面白いところに来るまでに打ち切られたら意味無ぇし」の様な意思決定が為されているんでしょうし、それでも、まぁいい。


しかぁ~し! しかし!! しかし!!! しかぁああ~しっっつ!!!!


新聞で、内容が「報道」って時に、確かに放射性物質の話出始めの頃には、シーベルトとベクレルの違いとか、何故悪いのか(コッチは遥か過去、原水禁の時にも既報なのかも知れませんが)とか、もっとプリミティブに放射能と放射線と放射性物質の違いとか、何故、一定期間に一度繰り返さない?そりゃぁ「良識ある社会人としてその位キャッチアップしとけよ」って事なのも理解はしているつもりですが、状況全部理解する為の部品を、部品単位で出すとマズい事が起こるから少しづつカドを取って丸くしている様な印象を持ってしまいます。

判らんなりに、記事だけから判断していると、よく内容が掴めていないのに用語=概念(正しくない)が浮かぶから、文脈だけで「書かれている事」の概要を理解したつもりになり、結果として書いてある事を結構な割合で信じちゃってる様な気がしてなりません。


同じ様な現象を、別の場面で感じた事があります。

TFKの会社には労働組合があります。例によって「給料を○○%上げろ」とか「ボーナスを○○ヶ月出せ」とか「○○ヶ月超えて出張さすな」とか要求を出します。これは別に良い。普通の役割ですよね。

  問題はこの後で、

「議案△△号(「上げろ」とかの事ですな)に関し『×××』の意見が出されたので、組合員で話し合って賛否を云々」があり、多数決や代表による会議で揉んで最終的に「上げろ(改)」「出張さすな(改)」で再要求、ってな手順で詰めて行くんです。オッサンの皆様には毎度お馴染みですな。会社員でない若い方(若い読者が入るとは思えんが)は良く判りませんかね。スマソ。

この結果を伝える時の広報が、「議案△△号+修正動議◎◎」は可決、しか書いてなくて、肝心の(上げろ)とか(元々○○%だったのを減らして△△%=(改)の中身です)とかを書かない。交渉の結果にしても、「議案△△号+修正動議◎◎」に関してはOKで、「議案◆◆号+修正動議◇◇」はNG、って書き方しかしない。もう一回、「元々○○%上げろ、だったのを△△%に減らしたらOKになった」って書かない。既に持ってる筈の「前の資料」で判るよね、って態度。

  どう思います?何か意図を感じませんか?

改めて書いたら、「やっぱ反対!元の%で押し通せ」って言うヤツが出て来て、そう言われると給料上がるのは嬉しいから、それまで興味なしだったヤツ等が同調して「そうだそうだ」ってなって再交渉、みたいな予測があって、それを避けようとしてるみたいに見えません?面倒だから見ないってのは、勿論悪いですよ。意見があるなら面倒でも資料見ろや、って話でしょ。ぢゃ、どうしてそれを親切に繰り返してやらない?「こうしとけば本気ぢゃない『面倒だ』ってヤツ等はその先の意見言わねぇから、楽だよね」って思ってんじゃねぇのか?



新聞やTVの報道にもそれを感じる。

人それぞれでしょうから、絶対正しいって主張する気はありませんが、どうしてもこの疑念が拭えない。TFKがガキだからでしょうか?或いは屁理屈野郎だから?頭ヨワいから?空気読めないから?


自分が仕事してると、同じ様な「隠す」側の態度をとる事もあります。戦略的に隠してますね。これに関しては「物事をスムーズに進める為に」とか「余計な/本気ではない/本質ではない/建設的ではない」意見を出させない為に、って(口に出して)やっているので、内容がどう正しかろうとダメですよ。そう。「隠すな」って事です。

  ん~、再度ヘコむ。

TFKガキだから自分の事は棚に上げて言っちゃうと、隠す方の気持ちも判るんです。自分もやってるし。TFKの会社って、自分の本当の意見ではそれ程コダワり無いのに、事前に話が無いと「ひと言何か言ってやろう」ってヤツが多いんです。しかもエラい。どこも同じよ、ではなく多いと思う。勿論、事前に話が無いんぢゃなくて、その人に直接話しに行かなかっただけで、結構前から決まってる事で広報もしてる事ばかりなんですがね。ひと昔前の「お局OL」みたいな感じ。「そこの流れ変えるなんてアタシ聞いてないわよっ!!」って。

TFKも対処方法に関しては「流され」系でダメダメですが、それでも極力そうならない様にしているつもり。何か言って来るヤツは大嫌いでも居る事は消せないので、当然「事前に話しておこう」ってのも出来る限りやる様にしています。そんなヤツに限って一回直接話しに行くとアッサリOKする。
ただ、より悪いヤツが居て、その時はOKの様な事を言っておいて、いよいよ決めようって時に反対したりしますねぇ。しかも結構エラいから迎合組は引いちゃう。元々アイディアがヘボいんだよ、ってツッコミは多々おありになるんでしょうが、間違いなく「そう言う話なら伺い書にして進めてみろ」って言ってたぢゃねぇか!


何か話が変わって来ちゃってますが、戦略的に隠すんぢゃなくて、毎回繰り返してやるのも必要だって事なんでしょうな。自分がいつも感じている様に。そうすると今度は、普段ちゃぶ台返しをするその同じヤツが、「書き方が冗長だ」とか「○○の時に既に決まって広報されてる」とか言うんですよ。反応に一貫性が無くて御し難い。このレベルになると流石に会社でも多数派ではなくて、「××本部長に話しに行っとけばOK」とか、「△△さん何か言いそうだから先に」とか、特定ケースだけ気にしていれば対処は出来るんで、この辺りで折り合ってます。ん~、TFK大人ぁ~。


長々と書いて来ましたが、方向の違う別の事なんかも加わりつつ、自らヘコむ事の多い昨今、取り合えず元気出して行かなきゃいかんよ、大人だし。


頑張れ俺。そして福島の人達!

2011年5月31日火曜日

忘れ方  by TFK

何か悲しい事があった時に、日々を過ごす過程において段々と忘れて行くって事がある、場合によっては意図的にそれを促す為に、目の前の作業や集中出来る事柄に打ち込むのも効果的、って話を聞きますが、本当だろうか?地震以来、当事者でない人々が訳知り顔で語っているケースを見かけますが、そんな簡単なものぢゃないと思う。いや、この言動だって、即「悪い」とは思いませんよ。本気でイイ加減な発言者(何か言い回しが矛盾してますけど)がゼロではないのは確かだけれども、皆がそうだとも思えない。表現がマズい人は多いですが、気持ちの上では真摯に考えていらっしゃる光線を感じる方が多いです。

TFKとしては、正確に言うならば、他の事にアタマを使っていると一時的に忘れた状態になるだけなんぢゃなかろうかと。だから不意に思い出した時に、当時と同レベルで悲しい気持ちが蘇り、同レベルで悲しくなる。涙も出る。


昨年、義理の兄貴を亡くしました。TFKには姉がいますが兄貴はいないので、姉の結婚相手で同年代の(年下の旦那です)兄弟ポジションの人が出来た時はとても嬉しかった覚えがあります。別に「姉ちゃん大っ嫌い」って訳ぢゃないんですよ。でもやっぱり、同じガキでも同じ様な感覚で生活し、ものを考えて来た経験者(しかも数年前のフレッシュな記憶!)と話をしながら、頼ったり/可愛がられたり/喧嘩したり/意地悪されたりしたかったですからね。弟ポジションですからね、自分が兄貴でも同じでしょうか、いや意地悪は最初から予定しないかな。特に小中学生の時はこの気持ちが強かった。

同じ様に嫁はんにも兄貴が居てコチラも1つ違いの同世代。この義兄が亡くなりました。嫁はんとは同郷&現在違う土地在住なので、話が合うのが非常に良いポイントと思っていますが、それでも前述の様な男女の違いはそこそこに大きくて、男の兄弟って良いと思う。だから、兄貴獲得はとぉっても嬉しかったですよ。姉の旦那(こちらも偶然に同郷&同世代)の方と3人で、しかも地元で呑みに行く、とか妄想しまくってましたね、実現しなかったけど。でも死んじゃった。


自分と異なる文化を持った者との接触は、一番最初の「親」から数えて多々ある訳で、人として避けられないし大事な事です。当然、同性・同世代・同郷が重なったからと言って、自分と同じではないので、大きく見れば「自分と異なる文化を持った者」には違いないんですが、それでも「そうそうそう」「あれっ!?判る!?」「いや解ってくれるヒトが居て良かったぁ~」は特別心地良い事の1つですよね。

ここで冒頭に戻ります。薄れませんねぇ。嫁はんも同じ様な状態ですが彼女の方は解るんですよ。実の兄なんですから。でもTFKもそう。喪失感大です。勿論「自分にとって良い事の理由となるものが失われた」って、単純な話ではないです。時間の空いたアタマの中を隙を狙って、ヒュッと空虚感が埋めて来る感じです。判り易い悪魔みたいな外見の黒っぽいヤツが杖風の棒を振って投げ込んで来る様な、そんなイメージです。雨の休日に昼間から薄暗く、家人は留守、TVもつまらない、少し肌寒い、みたいな、積極的に「嫌・悪・邪」ではない、でも確実にダメージのある「良くない」成分が染みて来る様な感触です。一度そんな気になると途端に悲しくなる。

確かに忙しくしていると、目の前の事象にアタマが占拠されていますからね。その隙がそもそも少ないって事が「何かに打ち込む」効果なのかも知れない。ただ急だったですからね。そこそこに時間が経った今でも、やっぱり悲しさはフラッシュバックします。


大ファンだったキャンディーズのスーちゃんが亡くなったのも似た感じですが、こちらは世間で言う「段々と(悲しい部分を)忘れて行く」に近いです。自分とは直接に関係の無い、TVの中の人だからかも知れません。勿論TFKとしては関係無いなんて思っていないつもりなんですが。「キャンディーズのスーちゃん」はTFKの思い入れでそうなっているだけで、彼女はいつまでもキャンディーズだった訳ではなく、女優さんとしてお仕事をされ、良い作品を沢山残されています。最期の時まで「出来過ぎ」って位に善良なる態度で頑張り、それで逝ってしまわれました。急なのは義兄と同じでも、後の報道等で経過に近い情報を得たから「もう良いよね」「これだけ頑張ったから十分だよね」って気になっているのかも知れません。自分としては薄っぺらくて嫌いだけれども。

これが「忘れて行く」って事なんだろうか?そうかも知れんが何か寂しい。寂しいだけぢゃなくてイケない事をしている気がして仕方がない。ストレートに「自己嫌悪」とか言っちゃうと、中心が自分にある気がしてそれも嫌ですねぇ。自分さえ言わなきゃ絶対バレないイタズラ(場合によっては踏み越えた悪い事)して、悩んだ末に自分で白状(それも意を決して自己申告する様な殊勝な態度ではなく、それとなくバレる様なほのめかし方で問い詰められるシチュエーション作って、の白状)して、より怒られるけど、結果としてはホッとしている様な、アノ「白状前」の心理状態です。


誰か、このガキに正しい忘れ方を教えてくれ。

2011年4月22日金曜日

悲しみ方 by TFK

大好きだった、いや今でも大好きなキャンディーズの一人、田中好子さんが亡くなられたそうです。早過ぎる。

TFKはガキなので、自分の傍にある、好きなモノや人、事柄・状況は失われないもんだと思って暮らしておりました。そんなガキには正しい悲しみ方が判らん。



スーちゃん、グッジョブ!! お疲れ様でした。これからもずっと好きだよ。

2011年4月2日土曜日

覚え方  by TFK

先日ブラジルに出張に行って来ました。先日って言ってもカーニバル前なんで結構経ってますが。

出張先はカーニバル直前で盛り上がるリオデジャネイロ。外国の大都市の基本として(今や日本もそんな感じになって来てますが)治安が悪い。業務初日に昼食で行ったレストランから帰ったら、そのレストラン名指しで「先週末パーティーをやってたら、強盗が入って現金・腕時計・貴金属・携帯電話を奪われたので、あそこは要注意」ってメールが来てた。遅ぇよ。

確かに、ロンドンでバスに乗って移動してた時には、一見して「ココで夜降りたくねぇ~」って場所あったし、ナイロビは自分と見た目の違うアフリカ人が大勢居るから、圧倒されて最初凄く怖い感じがするけど、そう思わせておいて実は普通の良い人が多くって、悪いヤツは外見の問題ではなくて一定数居るんですよね。

サンチアゴも夜の街中はかなり怖かったし、その時に旅先で一緒になった学生(TFKも学生でしたけど)は、ブエノスアイレスがそれはそれは怖かった、と力説しておりました。勿論、アルゼンチンの人が全員悪者なんぢゃなく、大都市の定番としてギャングやヤクザや食い詰め系のスリ・強盗なんぞが巣食っている訳です。ピストル持って。

LAでは、宿で仲良くなったオージーと飲みに行く途中で、夜なのにサングラスのデカぁ~い黒人がナイフ持って通りに居て、2人で「あっナイフ持ってる」って気付いた時には3mくらいの距離になってて、って事がありましたね。有り金全部の様な演技を2人でして、22ドル払って通してもらいました。勿論、帰りは別の道から帰りましたがね(それでも飲みに行ったんかい!)。

一時期定説の如く言われていた、「パリやマドリッドは綺麗なところは沢山あるけれども、ストリートには掏りが沢山居て決して快適でない」も、言われていた当時はある程度真実だったんでしょうね。それだって、当然「=フランス人悪党揃い」の意味ではない訳で・・・・。

まぁ、各都市、怖アイテムの構成比率と数には違いがあるんでしょうがネ。TFKはそれ程感じないですが、慣れてない人には夜の新宿や池袋は怖いと思う。ただでさえ日本人、表情が読めないって言われてますから。

TFKの経験の中で怖くなかったのは、改名前のムンバイと返還前の香港くらいかな(そもそも都市部に旅行する事は少ないですが)。香港ぢゃ相当裏道まで入り込んだ場所で夜中に遊んだ覚えがありますが、実績として何も無かった以上に、そもそも危ない感じがしませんでした。

一番怖かったのはマニラかな?刑務所ツアーで鉄砲撃った時は相当でしたね。マイクロバスが刑務所内に入って鉄の扉がしまった瞬間に、案内人が「今日、本当は都合の悪い時に入れてもらってるから、最初に言った値段と違うんだけど・・・・」とか言い出した時はねぇ。払わなかったけど。


 もとい。本題は「怖い場所」ぢゃない。


リオは、いかにもな怖い地域ではなく、普通の綺麗な場所に隣り合って非常に怖いエリアがあるイメージですか。或いは地域として全然OK風な場所に、居そうにない怖い人々(ストリートギャング・強盗の類ですね)が歩いてて結構見分けが付かない、様な感じ。オリンピックに合わせてギャングの巣窟を警察が徹底摘発した結果、地域に限定せずに街中へ潜伏したんだとか。一緒に仕事したブラジル人も、かの有名なコパ=カバーナ海岸を「危ないからは夜は絶ぇっ対近付くな」って言ってた。

んで、現場の事務所はまだ無くて、その危ないコパ=カバーナすぐ傍のホテル住まい。現地で組んでいる会社のオフィスの一角を借りていて、そこへ出勤します。当然の帰結として、毎朝ホテル前から同僚皆で固まってタクシーに分乗し、オフィスへ行きます。だぁって、在ブラジル日本商工会議所の案内が「極力バスには乗らない様に」ですからね。地下鉄も「昼間ならOK」なんだそうで。「公共」交通機関って言葉の意味は?って思います。

それでも仕事で一人だけ遅くなる事もあるし、(TFKは短かったですが)休日の単独行動も当然ある訳で、少なくとも一人でタクシー乗ってオフィスとホテルの場所くらいは言えないと話にならんのですよ。勿論ポルトガル語なんて出来ないから、先に赴任している方から習って音で完コピして覚える訳ですよ。

 ホテルは「バラッタ・ヒベイロ・ドゥエ・ドゥエ・ドゥエ」
 意味は、Rua Barata Ribeiro(=通りの名前です)の222番地って事。

 事務所は「リオ・ブランコ・コン・ブエノス・アイレス」
 意味は、Avenida Rio Blanco(=通り)とAvenida Buenos Aires(=通り)の交差点。

日本語で同じ「通り」でもAvenida(大)と、Rua(小)の違いがあるらしい。基準が良く判らん。


で、後から地図で綴りを見て気付いたのが、「リオ・ブランコ(Rio Blanco)」って「白い川」って意味なんですね。映画「リオ=ブラボー」のリオ、リオ=デ=ジャネイロ(1月の川って意味だそうで)のリオです。同じくアルゼンチンの首都の名前でもある「ブエノス・アイレス(Buenos Aires)」は良い空気/美味しい空気ですと。それぞれ通りの名前に使われる由来になった場所があって、発見者・乗り込んだ総督が名づけたんだそうです。「リオ・ブランコ」の方は人名→場所→通りの様で(ハッキリとは判らん)。それにしても「発見者」って不遜だねぇ。既に住んでた人大勢いたんですよ。名前だってあるし。


 もとい。本題は「欧州人による搾取と侵略の歴史」ぢゃない。


地図上の交差点見てて思いついた。確か日本にも「清澄」通りってのと「白河」通りってのが両方あるゾ。しかも交差してて「清澄白河」って場所があった筈。おっと今調べたら清澄白河駅(地下鉄の大江戸線)まであるゾ。
そうですよ。「澄んだ清清しい空気」に「白い川」の交差点で「清澄白河」、ポルトガル語判らんヤツの覚え方としては完璧ぢゃないですか。おまじないの如き「リオブランココンブエノスアイレス」よりはずっとイイ。この出張、仕事はそこそこシビアな内容だったんですが、これがツボにはまって何か結構満足してました。


現地での仕事とは別に、行き帰り地球半周もすると、30時間(待ち時間入れるともっと)くらい風呂なしで過ごさなきゃいけないし、テロ以来、空港でゲート通る度にベルト外してズボンを押さえた間抜けな姿でウロウロしなきゃいけないし、それはそれで結構な負担に思えたんですが、道中ほとんど全て映画観られたので、こちらもチャラかなと。

TFK映画好きなんですが、なかなか劇場にも行けないし、特にロードショーものの近年の映画は(子供と行くポケモン以外)殆ど観てなかったんです。いや、ポケモンそれなりに面白いけれども。お小遣い生活者なので、同じ1,800円なら少しでも面白いヤツを、って映画評見て検討しまくって結局行けない、のを繰り返してました。機内で12本くらい見たと思う。メシと寝た時間とチョトだけ仕事以外ほぼ全部。満足したぁ~。


体力的には疲れたけど良い経験でした。大江戸線、グッジョブ!!

2011年3月29日火曜日

二匹目の泥鰌は必ず二番煎じなのか?⑤  by TFK

五匹目いました。

Danny & Juniors で「At the Hop」→「Back to the Hop」

Juniorsは「大学のコーラスサークル上がり」って感じのボーカルグループです。

「上がり」って日本語だと意味はネガティブですね、何でだろう、上がってんのに。今、カタカナにする為に「NEGATIBU」って叩いて変換したら「根が恥部」って出た。だからネガティブって訳ぢゃないけど。画面見ながら打ってる方だとスグに気が付いて「恥部」までは出ないんぢゃないかと思います。TFKはオッサンなので、2本指打法でしかもキーボード見っ放しの、変換の時に顔上げる感じでキーボード打ってますので、こんな事になっちまっております。

  もとい。

「上がり」って言うと、政治家に対する前職として「秘書上がり」「役人上がり」、コンピュータ技術者に対する出身学歴・経歴として「文系上がり」「ユーザー上がり」、映画俳優に対して「舞台上がり」や「TV上がり」とか。ん?舞台の場合は逆の「映画上がり」もありそう。TVは無いか。TVはどっちからも下に見みられてる感じ。とまぁ、確かに嫌ぁ~な感じで使われますね。
本筋として歩むべきキャリア上の道があって、そのプロパー組が異なるルートを通った者(=脇道組)に対し、業務のやり方や段取りなどの議論の後に「だから本筋ぢゃねぇ奴ぁ解ってねぇって言うんだよ」とか「上っ面だけ知ったかぶりしてエラそうに語るんぢゃねぇ」の意味を込めて、しかも本人いないところで、「これだから○○上がりはなぁ」って感じで言いますね。そうか、発言者が上がって来るべき上レベルに既に居るってスタンスなんだな。

政治家になる過程の「正規のルート」って一体何よ!?ふた昔前の商社だと、役員改選で偉くなった人を指して「ケッ財務上がりめ」とか「総務上がりが上行っちゃったよ」とか言われてそうですな。会社作って「仕組みで儲ける」今の商社と違って、何しろ「売る」会社だった訳ですから。管理側は何かと風当たり強かったんぢゃないかと思う。


  もとい。

「△△崩れ」ってのもありますね。上がりと反対で、継続しているべき正規のルートを外れて、亜流の者に「なってしまった」感を込めて言います。教員を辞めて塾講師になった人に対して「教師崩れ」、神聖なる教育を行う学校がプロパーで、教育業界でありながらビジネスである塾が下って訳です。ホントにそうなのか!?
「全共闘崩れ」は似非左翼運動世代で、運動家時代のダメな部分を引き摺ったまま普通の職種に就いてるけど「妙なところに妙なコダワリ持ってて何かと上に批判的で使い辛いヤツ」みたいな使われ方ですね。偶然なんだろうか、こんな人がよく塾講師とかやってたりする。

ただ、政治家同様「全共闘」自体が正規ルートぢゃないし、ろくなもんじゃねぇ(@長渕)けど。引き摺っちゃった人々に対して、左翼的な運動をファッションで行っていた人々は就職と同時にスッパリ止め、何食わぬ顔して今度は組織の論理を(自分に都合よく解釈の上で)下の人々に押し付ける側になってたりします。そんなヤツ等は、時代そのものを良く知らない若造達に、たまぁ~に酒の席で「俺も若い時ぁ、よく上に楯突いてたモンだけどね、ほら学生の時に運動やってたから」とか言って来ます。

聞きたかぁねぇや!!!!!!!!!
常に日和って来ただけだろうが!!!
エラそうに語るんぢゃねぇ!!!!!


  取り乱しました(@上島竜平)、スマソ。


よくよく考えたらTFK、全共闘世代に関しては、意思貫き通した側も、ヘナヘナになっちゃた側も、たまにチョト顔出す中間型も、全部嫌いなんですね。書いてみて判った。


  もとぉ~い。

Juniorsから離れ過ぎです。気を取り直しまして。

この分野の「黒い」グループは数多く存在し、(一発屋も多いですが)名演を数多く残しています。逆にJuniorsは音楽カテゴリー的には傍流である「白い」グループですが、コーラスは上手でノリもかなり良い。ただ、チョト清潔過ぎる感じがあります。この辺が「上がり」感の漂う理由でしょうか。
映画「ホワイトナイツ」で、一緒に監禁される事になった二人のダンサー(ミハイル=バリシニコフとグレゴリー=ハインツ)が合わせて踊る場面で、二人ともメチャメチャ上手いんだけど(当たり前ですな、当時の最高峰二人ですから)、バレエのバリちゃんとタップのハインツはターンが違うんです。バリちゃん背筋が伸びてて軸がピーンとしてるのに対して、ハインツはダル気な回転(でもこれがカッコ良い!)。この違いに似てる気がする・・・。


「At the Hop」はストレートに、踊りに行こうぜ、楽しいぜ、SlopだろうがStrollだろうが何やってもイイぜ、猫も杓子(正確にはcats & chicks)も踊ってるぜ、DJがゴキゲンな曲を回し始めたら、もう・・・・、って感じ。SlopとStrollはステップとして確立したダンスの種類なのか知らないんですが、語感としてSlopは腕、Strollは足の動かし方の様です。メロディーの中で曲の内容を雄弁に語っているのが、陽気な前奏に続くコーラスです。低い方から始まって音を伸ばしながら一人ずつ加わって行って、4回綺麗にハモった直後に、「行けぇ~!!」ってな感じで激しいダンスナンバーが始まる、みたいな展開です。

「Back to the Hop」は、曲としては前奏部分と盛り上がり演出の最初(と最後)のハモりがほぼ「At the Hop」と同じです。一方、歌詞の方はニュアンスが異なっていて「少し遠のいていたダンスホールに行ってみようよ」って風に読めます。続けて出したんぢゃないのかな。

 「土曜日に1ドルあったらHopに行ってみようぜ」
 「DJが溜まったレコード処分するってよ」
 「(しまい込んでた)パラシュートスカート引っ張り出して戻って来いよ」

ってお誘いから始まり、定番のTwistやらFishやらPonyやらでやたら盛り上がっております。
「a lot a famous record stars are making the scene」ってところでは、そのホールでのイベントで、曲を歌っている歌手が実際に来店して歌うのか、売れまくった曲なので掛かるだけでボーカルの姿が思い浮かぶのか、は判然としませんが、「a cat from South Philly and a guy from New Orleans」が登場して盛り上がるぜ、って言ってます。

歌詞だけ追って行くとかなり寂しい気分になっちゃいますが、ダンスホール(ディスコですらない!)でのダンスが流行らなくなったのがキッカケなんだろうか。例に依らずに今回は、TFKちゃあんと調べた。4年後ですね。61年ってそんな年かな?ブームが遅れて来た日本では、まだ決まったステップのダンスが勢いあった頃ですよね。メリケンぢゃダメだったのかも。

全然まとまりませんが、たとえ「上がり」感満載でも、良いものは良い。Juniors、グッジョブ!

2011年2月11日金曜日

二匹目の泥鰌は必ず二番煎じなのか?④  by TFK

四匹目です(ここだけフォントが変わったみたいに見えません?って、もういいよ)。

DeeDee姐さんはダンスナンバー(前回書いた様な、ステップと一体化した曲目)が多いですね。やっぱり大ヒットした「Mashed Potato Time」の影響だろうか。

曲名にもなっている「ride」は文字通り、乗る(馬だの牛だのバイクだの三角木馬だのモノレールだの跨るタイプのヤツ)アクションを真似たダンスで、「Jitterbug」や「wastusi」なんかの難しいのに比べて、概念が判ればそこそこカッコ良い感じに踊れるヤツです。

えっ?ワツージ難しくない?TFKが運動神経無いだけ?そうかも。

映像で見ていない方々に語っても中々お分かり頂けないとは思いますが、前ステップと手拍子が揃っていて、何かTFKの体内感覚とは違ってるんですよ。円陣っぽい配置で踊る事が多いんでしょうが、前(=円の内側)から一歩下がる時に2回手拍子なら判るんだけど、手叩くのが前に出る時だもんなぁ。何か合わない&やってもカッコ悪い。そりゃワシが下手なだけぢゃと。

こんな時の資料集として毎度お世話になっているYoutubeには、TVの企画ですかね、わざわざステップを解説した様な映像が載ってました。曲は勿論、Orlonsで「Wa Watsusi」。因みに「Wa Watsusi」の歌詞の中には「ワツージってのはステップ違うんだからな、マッシュポテトになんぢゃねぇゾ」ってところが入ってます。ん~ん、気持ちは良く解る(間違う/混じっちゃう方の)。この注意事項は単なる軽い洒落ではなく十分的確で「Mashed Potato」にピッタリ(ピッタリな訳は三匹目参照)の「Please Mr. Postman」に合わせて、Wa Tsusiって踊ろうとしても何か合わない。いや確かに似てるけど違うんですよね。


 話が逸れた様な戻った様な感じですが、もとい、


「「ride」ってヤツはヴァーチャル手綱を引いて早足程度で馬に乗っている感じ。腕を前に出し(ヴァーチャル手綱ですからね)ながら膝を曲げて上下動をする訳です。でも「跨る」割には足揃えてるな。何でだろう?

曲の方の「ride」はと言えば、とにかく踊れりゃ何でも良いのかと言うと歌詞はチョト洒落ていて、ポニーに乗って(=rideのステップで、ダンスフロアを)貴方のところまで行くから待ってなさい、それまで踊っててもイイわよ、と。カウガールの感じで「投げ縄で捕まえちゃうから」とも。

  やっぱり肉食系。

これで、言ってるその娘が可愛きゃあ言う事無いんですが、世の中そんなに上手く行かんよねぇ。そんなヤツに限ってチョト見た目がアレだったりする・・・・。曲を聞いてのイメージ(=TFK妄想)では勿論、ミキちゃん似のダンス上手な女の子になる訳ですが。


基本の上下動を横にズラして(上手な人はこんな時良くアレンジをやりますよね)、お尻ぶつける「bump」に似た感じにして自然なボディータッチです。男がやれよ。まぁ、かく言うTFKもその場面では絶ぇぇえええっっ対に出来んでしょう。そもそも、そんなに上手く踊れん。rideってのは踊り方として「ぶつける」設定ぢゃないと思いますが、この迫り方はアリですな。それに、たとえ女の子の外見がアレであったとしてもTFKの様な非モテ系にはグッと来る。セクハラメタボオヤヂとなった現在はともかく、若い時は「仕方なく草食系」でしたからね。恥ずかしくて話せんの。顔見るだけでダメ。

仮にこの娘を藤村さんとしましょうか。心の中では、

 「ゲッ!!藤村(仮称)さん来た!あぁ寄って来る!!どうしよう!?」
 「ステップの下手なトコ見られたくねぇ~!コッチ見てるよぉおお!」
 「コケたふりしたら止めれるかな?あぁああ、もう来るぅ~!!!」

な訳ですが、一緒に下手なステップ踏んでる同じく『仕方なく草食系』仲間に

 「お前、藤村(仮称)ってどう思う?綺麗な顔してるけど大した事ないよな」とか、
 「スタイル良いけど、胸が無ぇのは俺はNGだけどな」とか

意味の解らん強がり方をしとる訳ですな。画像まで目に浮かぶ・・・・。


いつもの展開と同じで、何となく話がイカ臭くなりそうなので、本日はコレまで。五匹目あるかもだけど、一応終わりにしときますかね。DeeDee、グッジョブ。

2011年1月15日土曜日

二匹目の泥鰌は必ず二番煎じなのか?③  by TFK

三匹目です。

これまたTFKの大好きなChubby Checkerでは、「The Twist」→「Let's Twist Again」ってのがあります。この時代・分野の音楽に詳しくない方々でもご存知の方は多いでしょう。超メジャーと言っても良いらしいです。題名もかなりストレートな二匹目系。

ディスコ(古うぅっっっつ!!!)で、皆がその時流行の同じステップを踏む、曲に対して決まったステップがあって出来る様になったら常連、の様な文化が生きていた時代の専用曲ですな。その名の通りポッチャリ系のヴォーカルが、ツイスト踊りながら「ツイストしようぜ」で大ヒットしたんで、翌年「またツイストしようぜ」を出したと。「Again」の方に「Let's twist again like we did last summer」ってこれまたソノママのフレーズが出てきます。ちゃんと調べてませんが、本当に1年後に出したのかな?


因みにTFKの大好きなキャンディーズは、短い活動期間に対してあれだけの多作であるにも関わらず二匹目系はあまり無く、しかもリリースの間はとても短かったみたいですが、殆どカブってません。曲調だけで云うと、バンジョーっぽい音の入った「年下の男の子」が大ヒットした次がこれまたカントリー調の「内気なあいつ」で、そう思われる事もある様ですが、TFKこれには反対。この間(っても3年前)書いたキャンディーズのシングル曲の背景考察シリーズでは、イタいファン(しかもオヤヂ)であるTFKの妄想全開でひと続きのストーリーみたいに書きましたが、ソッチ↓の方がコジ付けです。

  http://collablo.blogspot.com/2008/05/by_8867.html

名曲の多くを作曲(&作詞も)された穂口雄右先生が「会社の意向で『春一番』の後に『夏が来た』って曲になって『二匹目』の匂いがして嫌だった」って語って(書いて、だったかも)た記憶がありますが、逆にコチラは題名だけ続いてる気がするだけで、穂口先生の気にされる様な感じは全然しません。TFKはファンとしては比較的イタい方なので、ついストーリー化しちゃいましたが、その実態は「連作」とか「アンサー」とかぢゃぁ無いな。

  で、またまた大脱線ですな。スマソ。

他には、DeeDee Sharp姐さんで「Mashed Potato Time」→「Gravy」ってのがあります。これは題名からしてそのままです。表面的には「マッシュポテトだけだと味が薄いからグレーヴィーソースを」って事。

「Mashed Potato Time」はダンスの種類としてチャールストンの変形みたいなのが流行った時の曲ですね。いや?これで流行らせたのか?この辺は世間並みにはオールドタイマーにお仲間入りをしているTFKでも流石にリアルタイマーではないので良く知りません(少なくともダンスはエラく流行したらしい)。

古き良きチャールストンと本当に関係があるのか不明なるも、
①「昔々のダンス=MashedPotatoを『The lion sleeps tonight(邦題もソノママの『ライオンは寝ている』当時の流行歌ですね)』で踊ってみたら何か合わない」
②「同じく『Please Mr. Postman』だとサイコー!」
③「もう流行り過ぎちゃって『Dear Lady Twist』でも踊れちゃう!」
みたいな展開です。

直接のアンサー関係ぢゃありませんが、「The lion sleeps tonight」のところにはちゃぁんと「weem o wep a weem o wep」っって元歌の象徴フレーズが入っており、「Please Mr. Postman」でも「wait a minute」と「deliver the letter」というキーフレーズが使われてます。情景としては、本当にそれらの曲に合わせてMashed Potatoのステップ踏んでいる感じです。
因みに「Dear Lady Twist」は、企画モノの匂いのする曲で「おばあちゃんに椅子に座り込んでないでダンスしようよ、実年齢ぢゃぁないんだゼ!ホラ医者も大丈夫だって云ってる」って歌詞です。

一方、味付け(Gravy)の方はと言いますと、舞台はダンスフロアで、(女性目線なので)彼氏と踊っています。ダンス自体は直接の話題ではなくて、「貴方、Mashed PotetoやTwistは上手に踊ってるけど、肝心の恋の方はどうなのよ」と来ます。この彼女かなり積極的で「足りないのはキス」とか「トキメキ部分の無いダンスってどうよ」とか、極めつけは「Give me gravy on my Mashed Potatoes」ですか。結構アツい。日本語だと「Gravy=肉汁」ですからね、昨今流行の肉食系女子そのまんまです。これまた訳し難いですが「Treat me right」とも訴えてます。曲の結末には、間奏の間にずいぶんと踊ったんでしょうね、ハグやらキスやらラブやらご希望の品は入手した模様です。

どの曲の組み合わせもメロディーの「そうそう、ココが好きなのよ」ってポイントの部分がチラっと入っていて、歌詞も結構リンクしています。


元唄のイイところが入っているパターンとしては、石野真子さんで「ジュリーがライバル」には、壁に貼ってあるジュリー=沢田研二さんのポスターに指のヴァーチャル拳銃でバン!ってところで転調し、リリース当時の人気者ジュリーの「危険な二人」で、これまた曲の切れ目で右手左足上げる決めポーズの時のメロディーが入っていたのが思い出されます。えっ?俺だけ?悪い事は言わん、手段はどれでも良いから、石野真子さんの曲聞いて見て下さい。楽しくて良いの多いよぉ。

またまた脱線気味ですが、長くなり過ぎるのも良くないので(既に長ぇよ!)この辺で。四匹目ネタ探しつつ、真子ちゃん、グッジョブ!
因みに「四匹」ってそこだけフォントが変わったみたいに見えません?この間ね、・・・いやだから脱線やめろって。