2010年1月19日火曜日

寮の思い出⑩ 夢の結末  by TFK

続きモノの10回目(最終回)です。


 一次会:  76,000円
 二次会:  65,000円
 三次会:  25,000円
 会場移動:  8,000円
 四次会: 252,000円

ボンクラ2人の「ひと晩」は、計426,000円で終わりました。二次会で記念にもらったはずの82年シャトー○○○○のラベルは、今でも何故か淡海(仮称)が持っています。いずれ返却させるつもりですが、さすが淡海(仮称)のヤツ腹黒いだけあって、

 「そもそも『奢る』って事はラベル代も込みだろう」

とか言って引き渡さないんですよ。これに対し、TFKはTFKで、

 「そもそも『飲み代』ってのは中身であってなぁ・・・」

などと言い、さながら中国と英国の様な関係となっております。そう言えば、ヤツめ、英国へ集中語学研修へ行ったとか聞いたけど、その時に、イギリス人から返さない理由でも教えてもらいやがったか。今度会ったら、「香港もマカオも返還される事だし、そろそろお前も租借地返還しろよ」って言ってやろうか、とか考えています。思えばヤツが行ったその研修も、業績不振で規模縮小になっちゃいましたねぇ(遠い目)。

いや、この文章は元は香港返還の頃に書いたものでして、ネタとして転載しましたので何かヘンな感じになっちゃってます。もの心ついた時にはもう、香港・マカオが中国の一部だった皆様、スマソ。両租借地共めでたく返還され、中英両国は現在とっても仲良しです。違うか。
ついでにマルビナスもアルゼンチンに返してやれよ。あっ、フォークランド諸島の方が判り易かったかな。


心と財布に若干、冷たい風が吹いたものの、TFKとしては、この後半年くらい酒の席での話題が出来(ポール=バンヤンの『デカい』話みたいなノリで聞いて下さる温かい方が多かったですねぇ)、苦労して面白い話をデッチ上げる必要性から一時的に開放された事を思うと、賭けもそんなに悪くなかったんぢゃないかな、なんて思ってます。

 やはり阿呆ですな。


下らない話(10回も!)にお付き合い頂いた皆様、有難う御座いました。

2010年1月18日月曜日

寮の思い出⑨ 決行! - 四次会 -  by TFK

続きモノの9回目です。4次会まで来ちゃいましたよ。


淡海(仮称)おススメのバーは、いや、良い店でしたねぇ、無駄に。

正気を失いつつ、カクテルの美味しさと店の雰囲気に感激したバカ二人は、よろめきつつ店を出ました。

 「良い店知ってるなぁ、淡海(仮称)」
 「彼女と来ると使えるぜ(いないけど)」
 「次は彼女と来るぜ(いないけど)」
 「これからどうする?」
 「もう酒は飲めねぇ」
 「だったらお姐ちゃんのいるところだぁ!」
 「良く解らんが、六本木だぁあ!!」
 「ッシャァアアァ、タクシーぃぃい!!!」

冷静な判断力を欠いたまま六本木に到着した我々は、勿論、お姐ちゃんがいようがいまいが六本木のお店なんか全然知らない我々は、フラフラと歩きつつ呼び込みの兄ちゃんが配る案内チラシに従って、ある店へと入っていったのでした。

 店名:水着&ランジェリーパブ 「ボディースペシャルⅡ」
 場所:不明なるも六本木(記憶なし)
 分類:不明なるも飲み屋(店名には一応「パブ」と・・・)
 躊躇:無ぁぁぁあああしっ!!!

席に案内されるとビキニのお姐ちゃんが来て、我々に聞きました。

 姐:「何を飲みますか?」
 淡:「バランタインを」
 T:「おっドンペリがあるぞ」
 淡:「良し、それも行こう!」
 T:「やはりピンクだな」
 姐:「喜んでぇええ!(嘘です)」

TFKは、勿論、淡海(仮称)も、飲んだのはその時が最初で最後でしたが、正確には「ドン=ペリニョン」、中でもピンク、即ち「ロゼ」が制御エンジニアの日当の如く、ひときわ高い。あっそうか、淡海(仮称)は業績絶好調の会社に転職してしまったから、今頃は、毎晩お店で「じゃ俺、ピンドンね」とか言ってるかも知れませんね。・・・ピンドン、言い方が実にお下品ですな。


お姐ちゃん2名と共に4人で乾杯!当初「もう飲めねぇ」とか言っていた我々は、そのあまりの旨さに声をそろえて叫んでいたのでした。

  「もう1本!!!」

その後、ウイスキーを飲み(まだ飲んどる)、カラオケを歌い(多分)、お姐ちゃんのオッパイをツンツン等した(筈ですが覚えてません)後、夜も明けて来た為「ひと晩」の約束も終わりに近付いたと判断した我々は、長く楽しいかったツアーを終える事にしました。


  例により、「スミマセン、お勘定」 -中略- 「要りません」


汚い話で誠に恐縮ですが、最後の力を振り絞って支払いを終えたTFKは力尽き、店のトイレで吐いてしまったのでした。それを見た淡海(仮称)は悲しそうな目をしてこう言いました。

  「おまえ、出すかぁ!?」

仕方無いぢゃん、3次会の辺りでとっくに限界だったんだから。


そして帰寮。電車はもう動いている時間だったんですが、淡海(仮称)はTFKの方を見ずに、家路を急ぐホステスのお姐ちゃん方と、若干モヤに霞んだ大通りの向こう側を、背景の様に眺めながら、ポツリと言いました。

 「帰りのタクシー代は私が出させて頂きます。」

いやぁ飲みましたねぇ。これで終に夢の様な「ひと晩」が終わっちゃいました。後は結末の1回を残すのみです。


本日はコレまでっ!明日をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝)。

2010年1月17日日曜日

寮の思い出⑧ 決行! - 三次会 -  by TFK

続きモノの8回目(飲み始めて3回目)です。


淡海(仮称)は正しかった。青山のバーは雰囲気のとぉ~っても良い店でした。無駄に。

まずはお祝い(何の?)でシャンパンを1本開けました。
ご存知の方も多いと思いますが、当時からTFKイチ押しの「ヴーヴ=クリコ」。自暴自棄時代には△△寮生御用達の「酒の××(ディスカウントショップです)」へ行く度に戸棚にあるだけ買って帰ったものでした。空前の円高だったし。

次にカクテルを注文。
淡海(仮称)は往時の我が社を思わせるモスクワの味、モスコミュール。
TFKはアースクエイク。別名「アブジンスキー」と言って、これまた往時の我が社を思わせるソ連風の名前ですが、レシピはとても簡単で「アブサンを1/2、ジンを1/4、ウイスキーを1/4で目出度く100%」です。名前は「アブ」と「ジン」と「スキー」ってな訳なので、別にスラブ野郎との関係は無さそうです。
これが度数に比して大変飲み易いんですが、本名(地震ですな)の通りズシンと来ます。バレバレのスクリュードライバー(いちいち古いねぇ)より使えるかも。使う相手もおりませんがね(これを書いたのはずいぶん前ですから、正確には「おりませんでしたがね」ですけれども、今だっておりませんがね)。

更にカクテルを2・3杯づつ飲んだ様な気がしつつ、店を出ました。


地獄のカン違い飲酒ツアーはまだまだ続きます。

本日はコレまでっ!また明日(坂本九ちゃんが「あした」ぢゃなくて「みょうにちっ」って言ってましたよねぇ)。

2010年1月16日土曜日

寮の思い出⑦ 決行! - 二次会 -  by TFK

続きモノの7回目です。

薄暗い店には黒のタートルネックを着たオカマっぽい店主が待っていました。本命のワインが程よく香りを開くまで、時間の掛からない別のワインを注文。

 ンまい!!

そして本命へ。店主の薀蓄に従い、チーズのかけらを喰い散らかしながらグジュグジュズビズビ飲みました。もう「♪目っか~らウッロコっが5万枚っ!」ですよ。スミマセンねぇ、クレージーキャッツのファンなんです。
更に調子に乗ったオカマ店主の薦めによってもう1本。オカマ店主曰く「こんなのも面白いですよ」だって。後から考えると「歯が浮く」どころか「歯ぐきが腐って歯が落ちそう」な感じですが、そこはそれ、もう美味しくて舞い上がっちゃってますからね、ツッ込まずスルーして。んで、この「面白い」1本もまた超絶!!!

本命ワインのラベルを剥がして記念にもらい、店を出ました。

 「いやぁ、たくさん飲んだなぁ」
 「あの82年、美味かったなぁ」
 「淡海(仮称)お前、静かな雰囲気の良いところを知らんか」
 「よし、俺が青山に良いバーを知っている、そこに行こうぜ」
 「よし、そこだぁ、行くぞぉ、待ってろぉ~、青山ぁあああ」
 「ここからなら歩いて行けるぜ」
 「ウッシャアァァアアアッ!!」

賢明なる読者の皆様は、この辺りでバカ2人が酔いと満足感と高揚感で正気を失いつつある事に気づかれるでしょう。こんな企画で、男2人で青山のバーに行ってどうする?しかも徒歩で。


三次会の場所は、またもや二次会終了後4分間の内に決まり、バカツアーはドライブ感を増しつつ続きます。。。


本日はコレまでっ!次回をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝 in 某国営放送)。

2010年1月15日金曜日

寮の思い出⑥ 決行! - 一次会 -  by TFK

続きモノの6回目です。

残業地獄に加えて賭けにも負け、更に自暴自棄になったTFKは、淡海(仮称)と賭けの精算飲み会を実行する計画を立てる事にしました。

 「まず『ひと晩』って事は晩メシから始め朝まで、って事だな」
 「うむ、晩メシ会場までの電車代は『奢り』対象外になるよな」
 「こんな機会も滅多に無いから、料亭かなんかから入っとくか」
 「よし、TFKは『銘酒・旅・料亭事典』ってのを持ってるゾ」
 「ワインの飲める店を当日△△駅の本屋で探してサァ・・・・」

2人の阿呆は綿密に計画を練り、かくして決行の日は、クリスマスイブに程近い12月22日(土)となったのでした。


最初の店(夕食でチョト一杯)は、E電新橋駅の近く、当時で既に創業80余年の和食の老舗「浜作」でした。
お造りをスターターに瓶ビールで軽く乾杯。続けて日本酒を飲みつつ、フグ(煮凝りやら唐揚やら刺身やら・・・)、名物「カレイの煮おろし」、更にはオコゼ(煮付けと刺身!)、炊き合わせにてんぷら・・・・。いや、美味しかったですねぇ。決して蟹を食べた訳ぢゃないんですが、淡海(仮称)はカレイを食べている間、本っ当にひと言もしゃべりませんでした。

食事も終わり、支払う時はTFKの出番です。

 「スミマセン、お勘定」
 「カードになさいますか」
  ←金の無い若造に見えたんでしょうねぇ、「現金ですか、それとも」とは言われませんでした。

 「現金で」
 「領収書のお名前は」
  ←金の無い若造に見えたんでしょうねぇ、「領収書は要りますか」とは言われませんでした。

 「要りません」

とりあえず「要りません」の時は、結構気持ち良かったですよ。


店を出た我々は、○○駅で買ったワイン情報本(代金は淡海持ち、飲み始める前だから)を使い、「○○年シャトー△△を用意している」と言うキーワードに従って本に載っている店に片っ端から電話を掛け始めました。

4件目でヒット!!!

 「92年ありますか(流石に怖くて78年とは言えませんでしたねぇ)」
 「いいえ、でも82年ならあります」
 「スグ行きますっ」
 「銀座からなら30分くらいですか、抜いておきますね」
 「よし、渋谷か、銀座線へ走れえぇぇえええ」

こうして二次会の場所は一次会終了後7分間の内に決まっていたのでした。


本日はコレまでっ!次回をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝 ←今ちょうど原作の方を読んでるところですが、面白いですよぉ~、長いけど=第十巻まで)。

2010年1月11日月曜日

寮の思い出⑤ 無念の散髪  by TFK

続きモノの5回目です。

それでもTFKは直ぐには髪を切りませんでした。多大なる腐れ仕事に(言葉が汚いねぇ、文集に書いた当時は相当怒ってた様ですな)時間を取られ、床屋でだろうが104号室でだろうが、切る事は出来なかったからです。事実「○○○会」にはコンビニで売っている安っぽい匂いのスーパーハードジェルを半分程費やし、何とか象のウンコを牛レベルに押さえ込んで参加したんですよ。ギャング風の写真が今でも残ってます。

話がそれちゃいますが「写真」って打ったら「捨身」って変換されて、チョト自分で笑ってしまひました。何か状況そのまんまですがな。


話を戻しましょう。

しかしアイヒマンの如き人事部は、和を乱す不逞の輩に対する追撃の手を緩めようとはしませんでした。

その後数回の「呼び出し&恫喝」を経て、終にTFKは勝利を目前にして髪を切ってしまったのでした。104ではなく風呂場でしたねぇ、フーッ(遠い眼差しで煙草の灰を落としながら)。時に平成○○年11月22日、嗚呼、痛恨の人事異動(繰り返し)。


賭け、負けちゃいました。次回はいよいよ精算の飲み会です。本日はコレまでっ!次回をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝 → 年がバレますな)。

2010年1月8日金曜日

寮の思い出④ あぁ痛恨の人事異動  by TFK

続きモノの4回目です。

TFKの友人の多くは「一方的に不利な賭けだ」と言っていました。「やっぱり、淡海(仮称)は腹黒いな!」とも。
しかしTFKとしては勝算があったんです。だって職場はオフィス勤務にしてサイト=工事現場(海外並み)なんですよ。ネクタイ締めてなかろうが、長髪だろうが、髭だろうが、刺青だろうが、何でもアリだぁ~っ!!

しかし程なくして衝撃の通達がTFKを襲いました。


 「人事部へ行って呉れないか」


嗚呼「人事部」、その四角い響き。某部長殿の四角い鬼瓦顔が目に浮かぶ・・・・・。その「四角い」ぢゃねぇって。


賭け成立以前に1ヶ月、プラス衝撃の通達までに1ヵ月半、髪は既に2ヶ月半分伸びてちゃってました。そして人事部員としての仕事をしながら約9ヶ月が経った或る日、日ごろ外部と接する事の少ない人事部には珍しい、他社との情報交換会(定例会だったらしいですが)に参加する事になりました。

TFKの正体知って読んでおられるご貴兄は、既にご承知の事とは存じますが、TFKの髪には陰毛の如き天然パーマが掛かっており、加えてかなり硬い剛毛と来ております。

賭けの前から通算してほぼ1年間近く伸ばし続けたTFKの頭は、「巨大な象に頭上からウンコ(ゆる目)をされた」かの様なシルエットとなり、更には、日本人のそれも会社員の立場としては、その当時かなり珍しい部類だったであろう、「サッカー選手の様な外カールの襟足」となってしまっていました。

そして情報交換会を数日後に控えた或る日、TFKは上司から別室へと呼ばれ、遂に畏れていた指令を受けたのでした。


 「○○○会までに髪を切って来い」


事態は風雲急を告げておりますが(そんな大したモンぢゃねぇか)、本日はコレまでっ!次回をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝)。

2010年1月7日木曜日

寮の思い出③ 華麗なる賭け -独身の驕り-  by TFK

新人研修が終わり、TFKの様な阿呆でもめでたく配属となりました。

社内で「4F経理サイト」と呼ばれた(工事現場扱いですな)その部署にも慣れ/疲れて来た頃、特に高給ぢゃなかったんですが、TFKは使う暇が無い為に金が溜まってしまうと言う「残業成金」になっておりました。加えて殺人的な忙しさに自暴自棄となっていましたので、深夜、寮に帰った時に、同じく深夜残業の挙句に戻ってきた同期の友人とある賭けをしました。

因みに、この友人は木村進さん(二代目博多淡海ですね)に若干似ており、見た目は結構カッコ良いんですが、腹黒いんですよ、こいつ・・・・・。仮に淡海(仮称)君と呼びましょうか。


チョト逸れちゃいましたが続けます。深夜の食堂で2人で食事を摂りつつ話をし、その結果「賭け」が成立した訳ですが、キッカケは淡海(仮称)のひと言からでした。

 淡海仮:「TFK、最近髪伸びてるなぁ」
 TFK:「しばらく切ってなくてな」
 淡:「それは『切りに行ってなくて』ぢゃなくてだな」
 T:「もういっそ伸ばし続けてやろうかと思ってるんだが」
 淡:「背中まで位?ワンレンにするか(古っ)?」
 T:「そうだなぁ、1年位かなぁ」
 淡:「ホントに出来るか!?」
 T:「大丈夫だろう」
 淡:「賭けるか?」
 T:「いいぜ」

バカですねぇ。実際の賭けの内容は次の通りでした。

・TFKが1年間髪を伸ばし続ける事が出来たら、TFKと淡海(仮称)で飲みに行き、ひと晩の飲み代は淡海(仮称)持ち。
・1年経過より前に髪を切ったら、その時点で飲み会決行、ひと晩の全飲み代はTFKがオゴる。


かくして賭けが成立しました。


本日はコレまでっ!次回をお楽しみにぃ~(by 元祖顔出し黒子=坂本九@新八犬伝)。

2010年1月6日水曜日

寮の思い出② バーバー104 by TFK

TFKが入社後の新人研修を受けていた頃、それも初期のOA機器操作の研修の頃に、講師の方(そんなに我々と年齢の変わらないお綺麗な女性でした)が、TFKの同僚=同期入社のペーペーに話しかけたそうです。曰く、

 「TFKさんってどこで髪を切ってるんですか?」

当時のTFKは赤貧を洗うが如き貧乏学生生活の呪縛から逃れられず、自分で散髪していました。横の方から切り始め、左右交互にハサミを入れて長さが同じになったら止める、という切り方でしたね。最悪の場合を想定してなるべく上と前を残して切ると、結果として髪型はドルフ=ラングレンと若き日の三橋達也の中間の様な感じになる事が多かったですな。言葉を変えると「幅広のモヒカンを撫で付けた」って感じ。そりゃ講師殿も聞いてみたくなりますわな。まだ学生気分なんだろうけど、一応、社会人なのにって。


欲しい情報が得られなかったんでしょう、講師殿は同僚を伴って近づいて来ました。同僚が代わって聞きます。

 「TFKはどこの床屋で髪を切ってるのか、○○さんが聞きたいんだって。」
 「あ、104号室です」
 「代わった名前ですね。△△寮の近くにあるんですか?」
 「いえ、中です。C棟の1階で・・・・」
 「△△寮って中に床屋さんまであるんですか!?」
 「いえ、私の部屋です」
 「えっ、自分で切るんですか!?」

TFKのとても下らない話にお付き合い頂いている、従ってそれだけで間違いなく善良と言って良い読者の皆様には、ある程度の時代もお分かりでしょうが、そうでない方々にはチンプンカンプンでしょう。しかし続けて書きます。先に謝っときますね、スマソ。

あの当時で「ドルフ=ラングレンと若き日の三橋達也の中間の様な感じ」の髪型も珍しかろうとは思いますが、床屋でわざわざそう注文するヤツも珍しいとは考えなかったんでしょうかね。

当時のTFKの髪型を評して、△△寮の大先輩にして、盗難車の如きダットサンを駆るシステムの神様(OA機器操作研修の親分なワケです)、H先輩はこう言い放ったと後から聞きました。報告を聞いての発言か否かは不明ですが。


   「あいつは客の前には出せねぇな。」


今回はココまでです。次回をお楽しみに。